一色清の「このニュースって何?」

5月9日の対ナチスドイツ戦勝記念日 → 第2次世界大戦を知ろう

2022.04.28

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一色 清
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多くの死者を出した独ソ戦

第2次世界大戦の中でもっとも多くの死者を出した戦いが、独ソ戦争です。民間人を含めてソ連側が2700万人、ドイツ側が800万人の戦死者を出したといわれています。日中戦争と太平洋戦争での日本人の戦死者数が310万人といわれていますから、その多さがわかります。

第2次世界大戦が始まった当初、ドイツとソ連は不可侵条約を結んでいて敵ではありませんでした。しかし、ドイツがバルカン半島に進出すると、この地域に関心を持つソ連との間に緊張が生まれました。41年6月、ドイツは不可侵条約を無視する形で、数百万人の将兵を投入してソ連に攻め込みました。ヒトラーは短期戦でソ連軍の主力部隊を粉砕し、ヨーロッパのもっと広い範囲を押さえ、支配を盤石にしようと考えたのです。レニングラード(今のサンクトペテルブルク)、モスクワ、スターリングラード(今のボルゴグラード)を結ぶ線のあたりまで一気に攻め込みました。今のウクライナのあたりはドイツの支配下になりました。しかし、ヒトラーの予想に反してソ連軍は強く、このぎりぎりのところで持ちこたえました。

ヒトラーはソ連との戦いを「イデオロギーの戦い」と考え、絶対に負けられない戦いと考えていたようです。モスクワ攻略をめざすドイツ軍と死守しようとするソ連軍は、何千㌔もの長い戦線で攻防戦を繰り返し、互いの損害は増していきました。ソ連第二の都市だったレニングラードでは、ドイツ軍は都市を完全に包囲し、市民もろとも飢えさせる作戦をとりました。この作戦は900日近く続き、市街は地獄の様相を呈したと伝えられています。

冬の訪れとともにソ連軍はドイツ軍を押し返し始めます。イギリスとアメリカはソ連支持を表明し、ソ連軍は勢いづきました。42年後半から連合国軍は総反撃に移り、43年初めソ連軍は戦略的に大事な工業都市であったスターリングラードでドイツ軍を降伏させました。独ソ戦の大きな転換点になったとされています。また、包囲されていたレニングラードも44年1月には解放されました。

連合国軍は敗走するドイツ軍を追い詰め、ドイツ軍は総崩れになりました。最終的には1945年4月30日にヒトラーがベルリンで自殺し、5月7日にドイツ軍は無条件降伏して終わりました。

こうして第2次世界大戦を振り返ると、ソ連がドイツに敗れていたら、世界はどうなっていたのだろうと誰しもがぞっとする思いでしょう。ロシアの人たちが5月9日を戦勝記念日として大々的に祝うのは、その勝利を心から誇らしく思っているからだと思います。しかし、同じソ連だったウクライナの人たちも同じようにドイツと戦っており、5月9日は誇らしい日のはずです。ただ、ウクライナの人たちにとって今は、ロシアがかつてのドイツに見えて、自分たちがかつてのソ連に見えているのではないでしょうか。77年の月日がたち、世界は大きく変わりました。

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