一色清の「このニュースって何?」

5月9日の対ナチスドイツ戦勝記念日 → 第2次世界大戦を知ろう

2022.04.28

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一色 清
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日々のニュースの中に「学び」のきっかけがあります。新聞を読みながら、テレビを見ながら、食卓やリビングでどう話しかけたら、わが子の知的好奇心にスイッチが入るでしょうか。ジャーナリストの一色清さんが毎週、保護者にヒントを教えます。(写真は、対独戦勝記念の軍事パレード。背後の写真は、独ソ戦勝利を祝った1945年6月24日のパレード=2011年5月9日、モスクワの赤の広場)

ウクライナ侵攻、意味を持つ「5月9日」

ロシアのウクライナ侵攻の戦況に5月9日という日が大きな意味を持ってきています。5月9日は対ナチスドイツ戦勝記念日で、ロシアでは国民の団結を示す大切な日として毎年大々的な軍事パレードがおこなわれます。プーチン大統領は今回、ここで何としても戦果を高らかにアピールしたいと考えているようで、この日を目指してロシアによるウクライナへの攻撃は激しくなるとみられています。

なぜロシアがこの日をそんなに大切に考えているのかを知るには、第2次世界大戦がどういう戦争だったか、そしてその中でもっとも苛烈(かれつ)な戦いだったとされる独ソ戦がどういう戦いだったのかを知る必要があります。歴史を勉強するうえで欠かせない出来事ですので、少なくとも大きな構図はしっかり理解するようにしましょう。

まず第2次世界大戦とはいつからいつまで行われた戦争か、ということですが、1939年9月1日から45年9月2日までというのが一般的な答えです。

始まりは、ナチスドイツのポーランド侵攻です。独裁者となっていたドイツのヒトラーは優秀なゲルマン民族が世界を指導するという考えのもと、それまでにも同じ民族の隣国オーストリアを統合し、さらにチェコスロバキア(今のチェコ、スロバキア)も勢力下におさめていました。ドイツはここでソ連(今のロシア、ウクライナ、ベラルーシなど)と不可侵条約を結んだうえで、9月1日にポーランドに侵攻しました。この段階で我慢の限界を超えたイギリスとフランスはドイツに宣戦を布告し、ヨーロッパでの本格的な戦争が始まりました。

終わりは、太平洋戦争に敗れた日本が降伏文書に署名した日です。ドイツのポーランド侵攻で始まり、日本の降伏で終わったというのは、第2次世界大戦の舞台が大きく二つに分かれていたことを示しています。最初の舞台はヨーロッパです。ドイツ・イタリア対イギリス・フランスの戦いで始まり、途中からソ連やアメリカがイギリス・フランスの側に加わり、ヒトラーの野望を各国が力をあわせて防ごうとする形の戦争になりました。

ヨーロッパを舞台にした戦争の終わりは、45年5月8日です。この日にドイツがベルリンで降伏文書に調印しました。各国にとってはドイツとの戦争に勝った日です。ロシアでは5月9日を戦勝記念日としていますが、それは時差の関係で調印した日付がモスクワでは翌日の9日になるためです。

もう一つの舞台は太平洋です。日本は37年に中国に侵攻し、日中戦争を始めていました。日本は中国で戦いながら、41年12月にアメリカ・ハワイの真珠湾にあるアメリカ軍基地に奇襲攻撃をかけました。太平洋戦争の始まりです。ヨーロッパで戦争が始まって2年3カ月ほどたっていました。以後、日本とアメリカなどとの戦争が太平洋地域で激しくなりました。この戦争はヨーロッパ戦線より遅くまで続き、45年8月14日に日本が無条件降伏を表明し、9月2日に降伏文書に調印して終わりました。これで世界を巻き込んだ一連の戦争がすべて終わったのです。

ヨーロッパを舞台にした戦争と太平洋を舞台にした戦争は、時期も参加国もかなり重なっていたため、二つをあわせて第2次世界大戦とよびます。

40年にドイツとイタリアと日本は日独伊三国同盟という軍事同盟を結んでおり、この3カ国は枢軸国とよばれました。一方、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中国などの国は連合国とよばれました。第2次世界大戦は枢軸国対連合国の戦争で、連合国の勝利で終わりました。そのため戦後の世界は連合国を中心に回っていくことになりました。

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