大学はどこへ
「稼げる大学」って何? 国立大授業料、年500万円もありうる? 石原俊・明治学院大教授に聞く
2022.06.08

「稼げる大学」こと「国際卓越研究大学」に関する法が5月18日、国会で成立しました。これに対し、大学教職員や学生などからは反対の声が多くあがり、可決前に約1万8千筆の反対署名も提出されました。「稼げる大学」とは何か。日本の大学にいま何が起こり、どこへ向かおうとしているのか。「大学の自治」に詳しい、明治学院大学の石原俊教授に聞きました。
(いしはら・しゅん)1974年生まれ。京都大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。専門は社会学。2017年から現職。著書に「硫黄島 国策に翻弄された130年」(中公新書)、「群島と大学 冷戦ガラパゴスを超えて」(共和国)、編著に「シリーズ 戦争と社会」全5巻(岩波書店)など。
「稼げる大学」路線は第2次安倍政権から
――「稼げる大学」という言葉をよく耳にするようになりました。違和感の声も同時に多くあがっています。「稼げる大学」とは何ですか。どういう背景から出てきたのでしょうか。
直接的には、5月18日に国会で成立した「国際卓越研究大学」に関する法(国際卓越研究大学の研究及び研究成果の活用のための体制の強化に関する法律)の検討過程を伝える、メディア報道のタイトルから来ています。内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)が進めているもので、この制度の目指す本質を突いていたことから広まりました。
ただし、「稼げる大学」という発想自体は今に始まったことではありません。
この20年間、「選択と集中」「トップダウン型のガバナンス改革」をキーワードに大学改革が進められてきました。当初は、2004年の国立大学の法人化に象徴されるような行政改革の一環でした。
これが、第2次安倍政権で大きく変質します。下村博文・文部科学大臣(当時)の主導のもと、14 年に学校教育法を改正し、「大学の重要事項を審議する」機関であった教授会を「学長からの諮問事項を審議し意見を述べる」機関に格下げ。「大学の自治」を弱体化させ、政府が大学の研究内容や人事にまで介入するようになりました。

15年6月、下村文科相は国立大学に対し“役に立たない”人文社会科学系や教員養成系の学部や大学院について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」と通知。「文系学部廃止か」と社会的な議論と批判を呼びました。ところが、これに先んじて既に大きな切り捨てを進めていました。地方大学の多様な学びを実現していた、教員養成大学・学部の「新課程(ゼロ免課程)」の廃止です。
ゼロ免課程は教員免許の取得を卒業要件としない課程で、1980年代後半から整備されました。これによって学部の少ない地方大学でも、それまで設置されていなかった人文社会科学分野や「情報」「環境」「福祉」など、多様な学びが可能になりました。地方の若者は、都市部に進学する経済力がなくても、地元で希望する分野を学べるようになったのです。これを切り捨てました。
さらに第4次安倍政権では柴山昌彦文科相(当時)のもと、2019年に低所得世帯の学生の入学金や授業料を減免する「大学等における修学の支援に関する法律」が成立します。「高等教育無償化」政策と喧伝(けんでん)されましたが、重要なポイントは別にあります。
大学が実施対象になるには「実務経験のある教員による授業科目を標準単位数の1割以上配置する」「外部人材の理事への複数任命」を条件とし、大学の人事に踏み込んだのです。
岸田政権の教育・科学政策は安倍・菅路線を踏襲しており、こうした流れの延長上に今回の「稼げる大学」法もあります。
政治家が研究の目利き? 「ピア・レビュー」無視の暴挙
――国際卓越研究大学の制度は、低迷している日本の研究力を取り戻すため政府が10兆円規模の大学ファンドを設け、その運用益を卓越大学に選んだ数校に配分します。1校あたり年間数百億円を集中投下するのが特徴で、これによって「世界と伍(ご)する研究大学」を生むのが目的です。これに対し、大学教職員や学生などが約1万8千筆の反対署名を提出しました。
国際卓越研究大学の認定・認可では、内閣総理大臣を議長とするCSTI=表の意見を必ず聞くことになっています。 しかし14人の議員のうち6 人が閣僚で、7人の有識者も総理が任命。研究者は「たった5人」で、政治から自由に選ばれる研究者は日本学術会議会長「たった1人」です。このメンバーで、学術研究の適正な評価ができるのでしょうか?

従来の競争的教育研究資金の審査・配分では、10万人を超える研究者が登録されている日本学術振興会などを介し、専門分野の近い複数の研究者による相互評価「ピア・レビュー」を行ってきました。日本に限らず、西側先進諸国が大事にしてきた評価制度で、適正な評価と公平性・公正性を担保してきました。
こうしたピア・レビューの原則に反して、ときの政権が大学の科学・学術の内容審査にまで踏み込むことは、暴挙としかいいようがありません。憲法23条の「学問の自由」にも抵触しかねません。
加えて、学術研究は大学単位でなされるものではありません。大学を超えた分野ごとの学会組織などで行われています。国内にとどまらず、世界的規模の学会組織も含みます。一大学の単位で、学術的成果の総合評価など、本来できるものではありません。
国際卓越研究大学の制度は、ひと言で言うなら「令和版帝国大学」を作ろうとするもの。5~7校を支援するとも言っていますので、数的にも合います。人文社会科学系や基礎科学系を含む多様な学術分野がそろう国立大学は、旧帝国大学など限られた大学でよい、という露骨な発想が底流としてあります。
ただでさえ、旧帝大と地方国立大の間には国から配られる運営費交付金の配分で大きな格差があるのに、大学間格差・地域間格差がいっそう拡大します。画期的なイノベーションは大都市の有名大学から生まれるとは限りません。裾野の広がりのないまま高い山だけを作ろうとしても、うまくいくわけがありません。