腕試しforフィフティーン

問題【国語】佐藤春夫『退屈読本』

2022.06.27

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42都道府県から生徒が集う西日本有数の予備校・高松高等予備校と朝日新聞が、高校受験に役立つページを用意しました。各教科の問題と解答はもちろん、各問についての解説も充実していて、手応えはバツグン。保護者の皆さんも中学生向けと侮らず、ぜひお子さんとチャレンジしてみてください。

問題 次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。

いつたい西洋の詩人は、自然を見るにも常に擬人的にしか見られないし見る事をしない。ギリシャ神話だつて、自然の美しいところにはニンフが住むでゐると考へて、初めて美を感ずる。或(あるい)は美をいひ現(あら)はす為(た)めにニンフが住むでゐるといふのか、ともかく自然と人間とを切り離しては考へられないらしい。いつも自然の上へ人間をおつかぶせてゐるやうな感じがする。

ロバート・バーンズなぞと云(い)へば、英国の詩人中でも最も自然を自然らしく――つまり人間をおつかぶせないで見る人として、珍(めづ)らしいといふ事になつてゐるが、それだつてやはり自然に、又自然のなかの小動物などに対して、人間にそそぐやうな深い愛情を持つてゐるといふ点がいいので、自然を只(ただ)現象のままに見てその美感に打たれるといふやうな事はあまりないと思ふ。ウヲーズヲースなどもやつぱり哲学的思索を、自然の中からぬき出さずには自然の美をそのままでは見られなかつた。そこへ行くと①われわれ東洋人の詩感はよほど違ひはしないか。成(なる)程(ほど)花を見て無情を感ずるといふやうな哲学的な見方も、多分にあるにはあるが、われわれの批評から見てさういふのには、かへつて傑作に乏しく、自然現象のまま歌つたのになかなかいいのがあるかと思ふ。たとへば

 わだつみの豊旗雲に入日さし
 今宵の月夜あきらけくこそ

といふなぞは、何の主観も哲学もなしに、然(しか)し立派に詩になつてゐると思ふ。支那の詩にしても王(わう)維(い)や韋(ゐ)応(おう)物(ぶつ)なぞの詩を初めとし純粋なる自然詩にその傑作が随分あると思ふ。(例は思ひつかないから、又今度にする)特別な人ばかりぢゃない、どの詩人にでも相当にある。否(いな)むしろわれわれ東洋人が風流といふのは、人間そのものを自然物のやうに、自然の一断片として感ずる事に詩感を置いてゐるのではないかと思ふ。

 菜の花や月は東に日は西に

これが東洋人の詩である。全く同じやうな事を、

 「払(ふつ)暁(げう)」
 月は彼方(かなた)にある、
 暁は此方(こなた)にある 月よわが姉妹よ、暁よわが兄弟よ
 月よわが左手に、暁はわが右手に
 兄弟よ、お早う。姉妹よ、お休み。

拙い訳だが、これが西洋人の詩だ。兄弟よ、姉妹よと呼びかけることが彼等の詩風で――僕に言はせると②彼等の詩の病だと思ふ。身(み)贔(びい)屓(き)かも知れないが、僕は詩人としては東洋人の方が恵まれてゐるやうに考へてゐる――小説家としては全く反対の気持がするが。

(佐藤春夫『退屈読本』による。)

問1 ①はどのような感覚か。

問2 ②はどういうところに感じるか。

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