一色清の「このニュースって何?」

安倍元首相撃たれ死亡 → 「政治家殺害事件」を歴史教科書で見る

2022.07.15

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一色 清
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日々のニュースの中に「学び」のきっかけがあります。新聞を読みながら、テレビを見ながら、食卓やリビングでどう話しかけたら、わが子の知的好奇心にスイッチが入るでしょうか。ジャーナリストの一色清さんが毎週、保護者にヒントを教えます。(写真:安倍晋三氏を撃ったとみられる男をSPらが取り押さえた=7月8日午前11時30分、奈良市)

政治家へのテロ、大きな衝撃

7月8日、奈良市で参議院選挙の応援演説中だった安倍晋三元首相が、銃撃されて死亡しました。発砲した山上徹也容疑者はその場で取り押さえられ、逮捕されました。報道によると、山上容疑者は動機について、「母親が宗教法人『世界平和統一家庭連合』(旧統一教会)に入って生活が苦しくなったことでこの宗教法人を恨む気持ちがあり、安倍元首相がこの宗教法人とつながりがあると思って狙った」という趣旨の供述をしているそうです。

動機は何であれ、「今の日本でこんなことが起こるとは……」というショックを受けた人は多いと思います。日本でも世界でもこうした政治家へのテロは、最近はあまりありませんでした。ただ、歴史を振り返ると、たびたび起こった時代がありました。高校の日本史、世界史の教科書(山川出版社の『詳説日本史』『詳説世界史』)に掲載されている内容をもとに、政治家へのテロがいつの時代にどのような理由で起こったのかを見てみました。

まず、日本です。近代と言われる明治時代以降のページをめくってみます。すると自由民権運動の項目のところに、「1878(明治11)年に政府の最高実力者であった大久保利通内務卿が暗殺されてから強力な指導者を欠いていた政府」という一文があります。大久保利通は同じ薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の木戸孝允と「維新の三傑」とよばれる明治維新の立役者です。馬車で自宅から赤坂仮御所に向かう途中、6人の士族に刀で襲われ、殺されました。士族たちは斬奸状(ざんかんじょう)を持っており、明治新政府に不満を持っていました。

次に出てくるのが、1909(明治42)年に「前統監の伊藤博文が、ハルビン駅頭で韓国の民族運動家安重根に暗殺される事件」です。伊藤博文は日本の最初の総理大臣で、その後韓国の外交を統括する統監府において初代の統監になっていました。日本は韓国の植民地化を着々と進めていて、それに反発した安重根がピストルで伊藤を撃ったのです。翌年、日本は韓国を併合し、日本の植民地にしました。

1921(大正10)年には、現職の原敬首相が暗殺される事件が起こりました。「原は、政党政治の腐敗に憤激した一青年により東京駅で暗殺された」のです。犯人は18歳の大塚駅員で、改札口に向かっていた原首相の胸を短刀で刺し、殺害しました。原首相は「平民宰相」とよばれ、就任時には国民から歓迎されましたが、青年は反政権の考え方を持っていました。

昭和に入っても現職の首相が東京駅で襲われる事件がありました。教科書には、「1930(昭和5)年には浜口首相が東京駅で右翼青年に狙撃され、翌年4月に退陣、まもなく死亡した」とあります。狙撃された浜口雄幸首相は一命をとりとめましたが、この傷が死期を早めたとみられています。浜口首相はロンドン海軍軍縮条約の調印に踏み切りましたが、野党、海軍軍令部、右翼などは激しく反発していたという背景がありました。

政治家へのテロは、次第にクーデターの様相を帯びてきます。「1931(昭和6)年には陸軍青年将校のクーデタ未遂事件(三月事件・十月事件)があり、翌1932(昭和7)年の2~3月には井上日召率いる右翼の血盟団員が井上準之助前蔵相・団琢磨三井合名会社理事長を暗殺し(血盟団事件)、さらに同年5月15日には海軍青年将校の一団が首相官邸におし入り、犬養毅首相を射殺するという事件(五・一五事件)があいついだ」と教科書にあります。

そしてまさにクーデターだったのが、1936(昭和11)年2月26日に起きた二・二六事件です。「北一輝の思想的影響を受けていた皇道派の一部青年将校たちが、約1400人の兵を率いて首相官邸・警視庁などを襲い、斎藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎教育総監らを殺害し、国会を含む国政の中枢を4日間にわたって占拠した」事件です。「このクーデタは、国家改造・軍部政権樹立をめざしたが、天皇が厳罰を指示したこともあり、反乱軍として鎮圧された」とあります。ただ、この事件により陸軍の政治的発言力は強まり、軍国主義から戦争突入への流れを加速させたとみられています。

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