一色清の「このニュースって何?」

小泉訪朝から20年経っても未解決のまま → 日本人拉致問題を知っておこう

2022.10.21

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一色 清
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日々のニュースの中に「学び」のきっかけがあります。新聞を読みながら、テレビを見ながら、食卓やリビングでどう話しかけたら、わが子の知的好奇心にスイッチが入るでしょうか。ジャーナリストの一色清さんが毎週、保護者にヒントを教えます。(写真は、北朝鮮に拉致された際の状況について語る曽我ひとみさん(左)。背後は2002年9月当時の新聞記事=22年10月15日、新潟市)

拉致被害者5人が2002年に帰国

2002年9月、小泉純一郎首相(当時)は日本の首相として初めて北朝鮮を訪問しました。北朝鮮に拉致されたとみられる日本人の救出を前提に、日朝の国交正常化に踏み出すことを目指していました。金正日総書記との会談で、北朝鮮側は拉致した日本人について、「5人生存、8人死亡」と報告しました。翌10月には、生存しているとされた蓮池薫さん、祐木子さん夫妻、地村保志さん、富貴恵さん夫妻、曽我ひとみさんが帰国しました。ただ、日本側は8人死亡などとするこの報告を信用できないとし、引き続き納得できる解決を求め続けています。しかし、小泉訪朝から20年、未解決のまま時が過ぎています。そもそも拉致自体は1970年代後半から80年代前半にかけてあったものです。すでに50年近くたっています。20年とか50年近くとか、こんなに長い期間がたってもまだ解決できない「北朝鮮による日本人拉致問題」って何でしょうか。

まず事件のあらましを説明します。70年代後半から80年代前半にかけて「謎の失踪」が相次ぎました。77年9月に久米裕さんが石川県能登町の海岸付近で行方がわからなくなったのが最初です。その後、日本海側の海辺や鹿児島や宮崎の海岸付近で突然人がいなくなることが続きました。また、ヨーロッパ旅行中の人が行方不明になるケースも複数ありました。

こうした行方不明はいずれも動機が分からず、当初は「忽然(こつぜん)と消えた謎の失踪」とされました。でも徐々に北朝鮮に拉致されて連れていかれたのではないかという疑いが濃くなっていきました。大韓航空機を爆破したとして韓国警察に逮捕された北朝鮮工作員が日本人らしき人から日本語を習ったという供述をしました。その日本人は「謎の失踪」とされたひとりと特徴が一致しました。ただ、決定的な証拠はありませんでした。一方、日本政府は北朝鮮との国交を正常化して植民地だった戦前の清算をすませたいという思いもあり、北朝鮮に強く出ることをしないできました。

その状況が大きく変わったのが、97年です。韓国の情報機関の情報などから「20年前に行方不明になった横田めぐみさんは北朝鮮に拉致された可能性が高い」と新聞と雑誌が大きく報道しました。国会でも取り上げられました。めぐみさんがいなくなったのは77年で、当時13歳の中学1年生でした。学校の部活帰りに新潟の海沿いの道で忽然と消えていました。「13歳の少女が拉致されていた」という報道は多くの人に強い衝撃を与えました。この報道をきっかけにめぐみさんの父母ら8家族で「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成され、政府や国民に救出を強く訴えかける活動を始めました。

ここで北朝鮮はなぜ日本人を拉致したのかを考えてみます。北朝鮮はソ連(現在のロシアなど)や中国と結びつきの強い社会主義国です。戦後まもなくアメリカや韓国と朝鮮戦争を戦い、休戦となっていました。ただ、戦争が終わったわけではなく、準戦時体制という状態でした。韓国を狙ったテロをあちこちで起こすなど、海外での違法行為にも手を染める国でした。金総書記は20年前の小泉首相との会談の際、拉致の目的について「特殊機関で日本語の学習ができるようにするためと、日本人の身分を利用して南(韓国)に入るためだと思う」と言いました。この発言通りだとすると、「日本語の先生がいなければ、日本から拉致して連れてこよう」という意識だったということですから、わたしたちとは犯罪への考え方がまったく違う人たちがいる国だったというしかありません。

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