「測りたい力」の全貌は見えたか ~3年目の共通テスト~

専門家の見方①南風原朝和さん 「受験生にも出題者にもつらい問題」

2023.02.03

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中村 正史
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高大接続改革をめぐる10年来の議論を経て導入された大学入学共通テストが、今回で3年目を迎えました。「知識偏重」「1点刻みの試験」からの脱却を掲げた大学入試改革は、うまくいったのでしょうか。文部科学省の高大接続システム改革会議の委員を務めた日本テスト学会理事長で、広尾学園中学高校の南風原朝和校長に聞きました。(写真は3年目になった共通テストに臨む受験生=1月14日、東京大学)

南風原朝和

話を聞いた人

南風原朝和さん

広尾学園中学校・高等学校校長、東京大学名誉教授

(はえばら・ともかず)東京大学教育学部卒、アイオワ大学大学院教育学研究科博士課程修了(Ph.D.)。東京大学大学院教育学研究科教授、教育学研究科長・教育学部長、理事・副学長、高大接続研究開発センター長を経て、2019年から現職。15年~16年、高大接続システム改革会議委員。専門はテスト理論、心理統計学。日本テスト学会理事長。

会話文や複数資料の形式に逃げている印象

――共通テストは3年目を迎え、問題の方向性がはっきりしてきました。高校の現場では、「よく練られた問題」という評価の一方で、問題の分量が多すぎて時間が足りない、何でも会話文にする必要があるのか、思考力というより読解力や情報処理力が問われているなどの声が出ています。共通テストの問題をどう見ていますか。

受験生にとっては、つらい問題ですね。とにかく読む分量が多い。学力層によっては問題のページ数を見ただけで、ウッと思うでしょう。出題者もこの形式を続けていくのは、つらいと思います。

センター試験の時代に大学入試センターの試験・研究統括官を務められた荒井克弘名誉教授は「入試問題はシンプル・イズ・ベスト」と言っています。しかし、共通テストの出題者は、問題をシンプルにすると、「これは知識問題ではないか」と批判されるのが怖いのでしょう。共通テストは知識よりも思考力を問おうとして、結果として特殊な試験になっていると思います。

――2012年以降、共通テストに決着するまでの10年来の高大接続改革をめぐる議論は、暗記型の知識偏重からの脱却が大きなテーマでした。

共通テストは知識問題と言われることを回避しようとしています。回避の先の方向性がはっきりしていればいいのですが、そもそも思考力とは何かがはっきりしていません。そのため、会話文だったり、複数資料を比較対照したりするという設問の形式に逃げている印象があります。その結果、ページ数の多い、長い問題になっています。

知識偏重という批判は、知識を、暗記して再生するだけの些末な知識に矮小化しているように思います。たとえば、鎌倉時代に起きた出来事が何年かを覚えるのは些末な知識かもしれませんが、鎌倉時代の全体の流れを理解するのも知識です。また、知識は思考したり、書いたりすることで変容し深化するものです。そのような知識を問うのは大事なことであり、批判されることではないと思います。

――共通テストは以前のセンター試験とは問題が変わり、難しくなったという捉え方が高校や予備校では多いです。

分量が増えて時間が足りなくなったこと以外に、問題が難しくなったのはどこでしょうか。それが思考力なのであれば、共通テストの狙い通りですが、たとえば公式の本質的な意味を理解しているかというのは知識に他なりません。分量や時間制限以外のファクターに、知識や理解ではないものがあるかというと、首をかしげます。

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