ハイスクールラプソディー
サッカー国際審判員・山下良美さん 都立西高校 校庭の音を聞きながらバスケ部で「ザ・青春」
2023.05.26

昨年のサッカーW杯カタール大会で、史上初の女性審判員に選ばれた山下良美さん。サッカー少女だったという山下さんの高校時代について聞きました。 写真/小山真司
やました・よしみ╱1986年、東京都生まれ。都立西高校卒業後、東京学芸大へ。2014年まで女子サッカークラブチームで選手として活躍しながら、審判の仕事も行う。15年に国際審判員に登録。19年女子W杯フランス大会で主審として参加。21年、J3リーグでJリーグ初の女性主審を務めた。
いつからサッカーを?
始めたのは4歳のときです。2歳上の兄がサッカーをやっていて、私もボールを蹴りたいと親にお願いしたようです。当初、チームで女の子は私だけ。小中学校では地元のクラブチームに入りましたが、小学校のときは男の子と一緒にプレーし、中学校で初めて女子チームでプレーしました。とにかく楽しくて、サッカーだけはやめたくないと思っていました。そういう気持ちにさせてくれたのは、サッカーを始めたときに出会ったコーチや仲間たちとの日々が本当に楽しかったからだと思います。
高校ではバスケ部に入ったそうですね。
当時はまだ女子でサッカーをやっている人が少なく、女子サッカー部がある高校に進学するとなると選択肢が狭まってしまいます。進学した都立西高校のサッカー部は男子部員だけだったので、いったんサッカーから離れ、バスケットボール部に入部しました。
一方、私は高校での部活動にすごく憧れがありました。ザ・青春というか……(笑)。朝早く学校に行ってジャージーに着替えて朝練して、そのまま授業を受けて、次は早弁。そしてお昼にまた練習して、授業が終わったらまた部活へ。一日中ジャージーで過ごす、そんな学校生活を送りたかったんです。バスケ部では、思い描いたような部活中心の生活を送ることができました。
高校3年生のときには文化祭で、部活の仲間と「おもしろビデオ」というものを制作しました。みんなで意見を出し合いながらいくつかの映像を撮り、最後は当時流行っていたモーニング娘。の曲を踊って締めくくる。バスケだけではなく、ほかのことで一緒になってひとつのものを仲間たちと作ったことも青春だったなと思い出深いです。
物理や化学が好きで、高校3年生のときには理系コースを選択していました。進路を真剣に考え始めたとき、誰かに何かを教えてもらったり、教えたりすること=「伝える」ということについてもっと学びたいと思うようになり、小学校の先生という道もいいかなと、東京学芸大に進みました。
