■国立西洋美術館主任研究員

 東京・上野の国立西洋美術館で開催中の「ルーベンス展――バロックの誕生」は、バロック美術の巨匠、ペーテル・パウル・ルーベンスの作品約40点とイタリアの古代彫刻など、計70点を展示、ルーベンスとイタリアの関係に注目した展覧会だ。本展を監修する同館主任研究員の渡辺晋輔さんに寄稿してもらった。

 ルーベンス(1577~1640)は現在のベルギーのアントウェルペンで修業し、同地に工房を構え活動した画家である。しかし誤解を恐れずに言うならば、彼はある意味でイタリアの画家だった。

 まず、画家として独り立ちした直後の1600年から08年までのほとんどをイタリアで過ごし、画風を完成させた。それだけではない。アントウェルペン帰郷後もこの南の国で学んだことを咀嚼(そしゃく)し続け、さらに新たな情報を貪欲(どんよく)に収集して、画家としての成熟に努めた。また、生涯にわたりイタリア語で手紙をしたためることを好んだ。帰郷後20年以上経ってなお、彼は手紙に(イタリア語で)、もしイタリアを再訪できないのであれば「満足して生きることも、満ち足りて死ぬことも決してないでしょう」とつづっている。

 もっとも、イタリア(特にローマ)はヨーロッパ文明の理想である古代文化の中心であり、それをよみがえらせた盛期ルネサンスの中心だったから、滞在する北方の画家は数多くいた。だから一人ルーベンスが特別だったわけではないのだが、子供の頃から高い教養をほどこされ古代文学や哲学に精通していた彼の、古代やルネサンスの文化、つまりイタリア文化に対する理解の程は、ほかの画家の比ではなかった。

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 「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」を見てみよう。珍しい主題なので参考となる先例はほとんどなかったはずだが、ルーベンスは原典を読みこなし、見事に描き出している。ただしこの絵は単なる物語の絵解きではない。主人公である3人のヌードの娘たちは古代彫刻さながらの肉体をもち、しかも彫刻よりなまめかしく官能的だ。彼女たちは姿勢や体の向きをリズミカルに変えることで動きを生じさせ、カンバスのなかに神話の世界を息づかせている。ルーベンスはこの絵を描きながら、理想としての古代世界に思いをはせ、それを生き返らせたのである。そして見る者をもそこへ誘うのだ。

 同じ精神は神話画のみならず、宗教画などほかのジャンルの作品にも認めることができる。聖女マグダラのマリアの奇跡を描いた「法悦のマグダラのマリア」の聖女は現実感をたたえる一方、両脇の天使たちはあたかも古代彫刻のような理想化がほどこされている。

 活力に満ちた画面を作るにあたっては、色彩あふれるベネチア美術や、さらにはローマ滞在中に目にした、当時芽生え始めた表現が役だった。それは、カラバッジョやアンニーバレ・カラッチといった画家の作品にルーベンスが見たもので、後にバロックと呼ばれることになる、リアルで見る者の心を揺さぶる美術である。彼はこの新たな美術の可能性を広げ、色彩と動きに満ちた盛期バロックをもたらす立役者の一人となる。

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 ルーベンスが活動した17世紀前半の現実に目を向けると、それは理想から程遠いものだった。スペイン・ハプスブルク家の領地ネーデルラントから独立した北部のプロテスタント(オランダ)と、スペイン側にとどまった南部のカトリック(おおよそいまのベルギー、ルクセンブルク)の間で熾烈(しれつ)な争いが続き、ヨーロッパ全体もまた三十年戦争の惨禍に覆われていた。こうした状況のなか、ルーベンスは知性と弁舌の才を買われ、しばしば宮廷から外交交渉を任された。

 争いの続く混沌(こんとん)とした現実と向き合いながらも、ルーベンスは理想の世界が存在しうることを信じていた。それを体現したものこそ古代世界であり、イタリアはそこに近づきうる土地だった。ルーベンスはこの地から得たことを糧としつつ、カンバス越しの理想郷に問いかけ続けたのである。

 ■来年1月20日まで

 ◇2019年1月20日[日]まで、東京・上野の国立西洋美術館。午前9時30分~午後5時30分(金曜、土曜は午後8時まで)。入館は閉館の30分前まで。月曜および12月28日~1月1日、15日は休館(ただし12月24日、1月14日は開館)。一般1600円など

 ◇問い合わせ ハローダイヤル(03・5777・8600)

 主催 国立西洋美術館、TBS、朝日新聞社

 後援 ベルギー大使館、イタリア大使館、ベルギー・フランダース政府観光局、BS-TBS、TBSラジオ

 特別協賛 大和証券グループ

 協賛 NISSHA、あいおいニッセイ同和損保、三井物産、東日本旅客鉄道、シュガーレディグループ

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