やまと絵作家としてのキャリアを捨て、西洋絵画の表現を吸収し、伝統とモダンを融合した作品を次々と生み出した山口蓬春(ほうしゅん)(1893~1971)。邸宅を改装してつくられた山口蓬春記念館所蔵作品を中心に、大正・昭和と活躍した画業を回顧する展覧会が、7日から東京・日本橋高島屋S.C.で開かれる。

 蓬春は、キャリアのスタート段階から、変革の画家として運命づけられていたのかもしれない。

 東京美術学校(現・東京芸大)の西洋画科に入学したものの、指導教授から「君の絵は日本画のようなところが多い。まことに渋い……。油絵の具で描かなくてもいいのではないか」と言われ、日本画科への転科を決意する。

 予言は当たった。当時活躍中の松岡映丘(えいきゅう)に師事し、日本の伝統美を表現するやまと絵の名手として頭角を現す。

 首席で卒業後は、「新興大和絵会」の同人に。1926年に帝展に出品した作品で特選、帝国美術院賞、皇室買い上げという三重の栄誉を受けるなど華々しい結果を残した。極めて現代的な感性の「初夏の頃(佐保村の夏)」、格調高い「那智の滝」などはこの頃に生まれた。

 しかし、やまと絵の新星として本格的に活動したのは5年余りに過ぎない。

 その表現に限界を感じ、30年に日本画家、洋画家、美術批評家・記者による流派を超えた団体「六潮会(りくちょうかい)」に参加。省略した背景や装飾的に屈曲させた枝などが琳派(りんぱ)をほうふつとさせる「泰山木(たいさんぼく)」や、水墨作品にも挑む。西洋美術にも接近し、形の単純化など新しい表現の追求も始まった。

 蓬春の本領が発揮されるのは戦後のことだ。海と山に囲まれた神奈川・葉山に移住したことも一つの要因だったかもしれない。

 終戦後まもなく日本画滅亡論が唱えられると、新しい日本画を模索し、マティスやブラックら20世紀の巨匠の影響を受けた明るくリズミカルな画面を生み出した。岩絵の具を使った日本画なのに、まるで油絵のよう。白熊を描いた「望郷」などの作品は「蓬春モダニズム」という形容が与えられ、話題を呼んだ。

 しかし、その後は軽快さから一転、リアリズムを追求し、濃い色彩で緊密に描く「枇杷(びわ)」などの静物画を制作。56年に、雪舟没後450年を記念した中国の式典に招かれて以降は、日本を強く意識したのか、また作風が一転する。長らく封印していた伝統的な四季花鳥の世界に再び入ったのだ。

 山口蓬春記念館の笠(りゅう)理砂学芸主任は、「やまと絵が自分の形式で出来るという自信の表れだろう。蓬春は、名声に酔わず、スタイルをあっさり切り替えるすごみがある」と指摘する。「新冬」など晩年の作品は、岩絵の具の清澄な色彩は深まり、洗練された構図に明るさが満ちる。

 文化勲章を受章し画壇を登り詰めた蓬春。画塾はつくらなかったが、慕ってきた若者たちには、「絵に年をとらせるな」と同時代感覚の重要性を説いたという。現代人にも響くモダンな作品の数々は、生涯続けたその挑戦の上に成り立っている。(木村尚貴)

 ■山口蓬春記念館とは

 蓬春が戦後暮らした葉山の自邸は改装され、本画や素描、収集した美術品を展示する記念館になっている。作品散逸を防ぎたいという山口夫人の願いを人づてに耳にしたJR東海の関係者が設立に動き、作品の寄贈を受けて1991年に開いた。蓬春の親友で文化勲章受章の建築家・吉田五十八(いそや)設計による画室を、ほぼ当時のままの状態で公開。四季折々の草花が咲く庭園も見どころになっている。詳細はHP(http://www.hoshun.jp別ウインドウで開きます)。

 ■あすから、東京・日本橋高島屋

 ◇7日[水]~19日[月]、東京・日本橋高島屋S.C.本館8階ホール

 ◇午前10時30分~午後7時30分。最終日は午後6時まで。いずれも入場は閉場の30分前まで

 ◇一般800円、大学・高校生600円、中学生以下無料

 ◇問い合わせ 日本橋高島屋S.C. 03・3211・4111

 主催 朝日新聞社、NHKプロモーション

 特別協力 山口蓬春記念館

 <特記のないものは、いずれも山口蓬春記念館蔵>

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