星野道夫のことば

星野道夫が残した多くの文章から、選りすぐりの「ことば」をご紹介します。

い森の中にいると川の流れをじっと見つめているような、不思議な心の安定感が得られるのはなぜだろう。ひと粒の雨が、川の流れとなりやがて大海に注いでゆくように、私たちもまた、無窮の時の流れの中では、ひと粒の雨のような一生を生きているに過ぎない。川の流れに綿々とつながってゆくその永遠性を人間に取り戻させ、私たちの小さな自我を何かにゆだねさせてくれるのだ。それは物語という言葉に置きかえてもよい。

(「森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて」世界文化社)

はアラスカの冬が好きだ。生きものたちは、ただ次の春まで存在し続けるため、ひたむきな生の営みを見せてくれる。それは自分自身の生物としての生命を振り返らせ、生きていることの不思議さ、脆さを語りかけてくる。自然と自分との壁が消え、一羽の小鳥に元気づけられるのは可笑しなことだろうか。

(「イニュニック [生命] ― アラスカの原野を旅する ―」新潮文庫)

野にポツンと浮かぶ家の灯にも、大都会を埋め尽くす夜景にも、私は同じような愛おしさを感じていた。それは人間の営みが抽象化され、私たちの存在がひどくはかないものに感じるからだろう。

(「長い旅の途上」文春文庫)

然科学は私たちが誰であるのかをたしかに解き明かしつつある。それなのに、科学の知はなぜか私たちと世界とのつながりを語ってはくれない。それどころか、世界は自己から切り離され、対象化され、精神的な豊かさからどんどん遠ざかってゆく。私たちは、人間の存在を宇宙の中で位置づけるため、神話の力を必要としているのかもしれない。

(生前最後の写真集「アークティック・オデッセイ 遥かなる極北の記憶」新潮社)

れども、人間がもし本当に知りたいことを知ってしまったら、私たちは生きてゆく力を得るのだろうか。それとも失ってゆくのだろうか。そのことを知ろうとする想いが人間を支えながら、それが知り得ないことで私たちは生かされているのではないだろうか。

(「森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて」世界文化社)

は生きているかぎり、夢に向かって進んで行く。夢は完成することはない。しかし、たとえ志なかばにして倒れても、もしその時まで全力を尽して走りきったならば、その人の一生は完結しうるのではないだろうか。

(「アラスカ 光と風」福音館日曜日文庫)

ラスカの自然に憧れ、この土地に移り住み、根なし草のように旅をしてきた自分が、家庭をもち、父親になった。それは家を建て、アラスカに根をおろしていった時と同じように、まわりの風景を少しずつ変えている。うまく言葉に言い表せないが、たとえば木々や草花そして風やオーロラのなかにさえ、自分の子どもの生命を感じているということだろうか。同じ場所に立っていても、さまざまな人間が、それぞれの人生を通して別の風景を見ているのかもしれない。

(「長い旅の途上」文春文庫)

どものころに見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとある。

(「長い旅の途上」文春文庫)

「いいか、ナオコ、これがぼくの短いアドバイスだよ。寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ」

(「旅をする木」文春文庫から、自身の結婚パーティーで、妻の直子さんに友人のカメラマンがかけた言葉)

ラスカの自然を旅していると、たとえ出合わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。今の世の中でそれは何と贅沢なことなのだろう。クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれるからだ。もしこの土地からクマが消え、野営の夜、何も怖れずに眠ることができたなら、それは何とつまらぬ自然なのだろう。

(「旅をする木」文春文庫)

間にとって、野生動物とは、遥かな彼岸に生きるもの。その間には、果てしない闇が広がっている。その闇を超えて、人間と野生のクマが触れ合う瞬間があるものだろうか。

(「アラスカ 永遠なる生命」小学館文庫)

景の中に溶け込んでしまいそうな小さなクマの姿を、私たちは飽きることなく眺めていた。一見荒涼とした世界に、生命はどこかで確実に息づいている。一頭のクマを見たことで、あたりの空間は突然ひとつの意味を帯びてくる。それが極北の自然だった。

(「イニュニック [生命] ― アラスカの原野を旅する ―」新潮文庫)

Life is what happens to you while you are making other plans.
(人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事)

(「イニュニック [生命] ― アラスカの原野を旅する ―」新潮文庫から、シリア・ハンターの言葉を紹介)

の世の中は、急いで旅をしようと思えば、わずか一日でさえ世界一周が出来る時代です。世界は狭くなったと人は言います。しかしアラスカを旅しながら感じることは、やはり世界は広いというあたりまえの思いです。さまざまな人々が、同じ時代を、そしてかけがえのない同じ一生を、多様な価値観の中で生きています。少しでも立ち止まることができれば、アラスカであれ日本であれ、きっとそこに見えてくる風景は同じなのでしょう。

(「イニュニック [生命] ― アラスカの原野を旅する ―」新潮文庫のあとがきから)

と出会い、その人間を好きになればなるほど、風景は広がりと深さをもってゆきます。やはり世界は無限の広がりを内包していると思いたいものです。

(「旅をする木」文春文庫)

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