京都府南部、木津川流域は旧国名から南山城と呼ばれる。木津川は古代から水運に利用された交通の動脈でもあった。この地域には縄文時代以来の考古学的な遺跡が豊富で、特に古墳時代前期の椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳が著名である。飛鳥時代には木津川の北岸に高麗寺(こまでら)が創建された。奈良時代には瓶原(みかのはら)の地に「恭仁宮(くにきょう)」が設置され、そののち山城国分寺が置かれた。いまも塔跡に巨大な礎石が残りその壮大さを示している。また近年、神雄寺という奈良時代の寺院跡も発見され注目を浴びた。
恭仁宮・山城国分寺が置かれた瓶原(みかのはら)の北側の山中に海住山寺は在る。天平年間の創建と伝える古寺である。鎌倉時代初めに解脱上人貞慶(げだつしょうにんじょうけい)によって「海住山寺」と命名され、寺観が整備された。平安時代の十一面観音立像をご本尊とし、鎌倉時代の五重塔(国宝)が今に残る。仏像をはじめ絵画や工芸作品を多く伝える文化財の宝庫である。
またこの木津川市加茂町現光寺の十一面観音坐像は鎌倉時代の瀟洒な作風を見せている。
笠置山が開かれたのは寺伝によると白鳳時代とされる。山頂北面の岩肌に刻まれた巨大な弥勒石像が信仰を集め、平安時代には藤原道長ら貴族たちの参詣が盛んであった。鎌倉時代に解脱上人によって整備され、上人の墓も営まれた。展示では鎌倉時代の毘沙門天立像、笠置寺縁起絵巻、経塚に埋納された経筒などを紹介する。
浄瑠璃寺と岩船寺は奈良県との境に近い木津川市加茂町の当尾(とうの)の里に立地する。この地域は中世の石仏や石塔が数多く残る石造文化財の里でもある。
浄瑠璃寺は平安時代後期、浄土信仰のもとに造営された寺院で、九体阿弥陀堂は12世紀のままにのこる貴重な遺構である。
岩船寺は奈良時代の創建と伝える古寺で、丈六の阿弥陀如来坐像(天慶九年銘、946年)が平安時代の隆盛を伝えている。
木津川流域に古寺が点在しており、貴重な御尊像を現代まで伝えてきた。
寿宝寺には平安時代の千手観音立像や鎌倉時代の聖徳太子像が伝わる。観音寺は天平時代の十一面観音立像(国宝)で知られている。蟹満寺は奈良時代前期の巨大な銅造釈迦如来坐像(国宝)が有名である。神童寺は山中にある修験道の霊地、多数の尊像を保管してきた古仏の宝庫といえる。禅定寺は宇治田原の古刹で、平安時代半ばに造立された巨大な十一面観音立像が圧巻である。
一休宗純(1394〜1481)が晩年を過ごし、その墓所があるのが京田辺市薪(たきぎ)の酬恩庵であり、一休寺の名でも知られている。一休禅師はその独特な性格と行動で後の世に知られ、様々な逸話を残した。酬恩庵には一休の肖像画をはじめ彼の袈裟や笛などの遺品が伝承されてきた。また中世の頂相(ちんそう)や江戸時代の絵画作品、方丈の襖絵など多くの文化財が残されている。
各寺院境内写真:桑原英文