東日本大震災復興フェア おいしい支援は続くよいつまでも。食べ手と作り手が結ぶ絆の味 東日本大震災復興フェア おいしい支援は続くよいつまでも。食べ手と作り手が結ぶ絆の味

2019年春にスタートした、「東日本大震災復興フェア」。この間、岩手、宮城、福島県の食品を増やしてきて、現在、取り扱い食品は22になった。

来年、10回目の3.11を迎える。政府主催の追悼式典は来年が最後になるそうだ。2万人を超える死者・行方不明者を出した大震災も、少しずつ風化が進む。

生産者の皆さんにお会いするため、年に何回か岩手、宮城、福島を訪れている。目に見える震災の爪痕はまだ残っているし、被災した生産者の皆さんも、前は向いてはいるが、やはり心の傷はまだ癒えていないと思う。

だから、続けたい。「おいしい」の循環を。被災地のおいしいものを探してきます。食べてみてください。おしかったら、また買ってください。それは生産者の皆さんの生活を潤すだけでなく、心の支えになるから。

「おいしいね」。食の生産者にとって、これ以上うれしい言葉はありませんから。

岩手県

《震災・あのとき》

復興フェアの人気NO,1は「岩手短角和牛 吟醸粕漬」(岩手町)だ。赤身のうまさと1枚80gという食べきりサイズが人気の秘訣。今回、花巻市の「白金豚ロース・バラしゃぶしゃぶ用」を入れた。こちらも繊細な肉質の評価が高い。精肉店やレストランを営む「きむら」の木村宏征さんは3.11の直後、三陸の被災地に駆けつけ、温かい料理をふるまった。「おばあちゃんに蒸し立ての肉まんを手渡すとほおにあてて『温かいねえ』と言ってくれたんです」。涙が出た。災害時の食べ物の「強さ」を感じた瞬間だった。東京のエンジニアだった新谷洋一さんが移住して始めた「大槌の牡蛎燻製」(大槌町)丸友しまかの「恵みのからめ味噌」(宮古市)は震災後に生まれた食品。「さらさらこんぶ」(宮古市)は今や、当SHOPの定番商品になった。全国区の人気「黄金海宝漬」(釜石市)は、アワビの入った春夏バージョン。今回から雑貨も始めた。その第一弾が陸前高田の山桜で作った「福おちょこ」(陸前高田市)、久慈特産の琥珀を使った「天然琥珀ペンダント」(久慈市)。これから各県の雑貨も増やしていきます。

宮城県

《震災・あのとき》

「3種のふかひれスープ」(気仙沼市)「『伊達のぎん』スモークサーモン&刺し身セット」(石巻市)が登場。港町はいずれも津波で甚大な被害を受けた。 笹かまぼこの「ささ圭」(名取市)は、津波で工場が全壊。しかし、先代が使っていた石臼で魚をすり身にし、昔ながらの手焼きを復活させ、「希望」という商品名をつけた。「ヤママサ」(塩釜市)は地震で工場が半壊。調理済みの大切さを感じた」というのが、「煮魚・ごはん個食セット」の開発につながった。「金華黄金しめさば」の「和久魚問屋」(石巻市)は目の前が港。津波でオフィスは外枠しか残らなかった。同じ石巻の被災した水産会社などが大同団結したのが「石巻うまいもの株式会社」。その第一弾が「石巻金華茶漬け」。8種類からお好きな具材を選んでください。牛タンの「陣中」(仙台市)も名取市の工場が被災。それでも、在庫の牛タンを焼いて弁当にし、被災者に無料で配った。いまや、その栄養価で通年の飲み物となったあま酒。銘酒の蔵元「一ノ蔵」(大崎市)のあま酒は米糀だけで造った100%自然の甘みだけ。

福島県

《震災・あのとき》

新登場は「いいたて雪っ娘かぼちゃのスープ」(飯舘村)と「カジ○コロッケ」(いわき市)。避難指示の出た飯舘村からは初登場。生産者の渡邊とみ子さんは避難先でもずっと、かぼちゃを作り続け、ようやく飯舘に戻った。「カジ○コロッケ」はいわき沖でとれるクロカジキを使った「お魚コロッケ」。そのレシピを作ったのは県立湯本高校の「家庭クラブ」の生徒さんたち。放射能汚染、その風評被害に苦しむ漁師さんたちをなんとか手助けしたい、と開発した。原発事故が起きた浜通り。郷土食をベースにした「うにとほっき貝の炊き込みご飯の素」は、潮の香りたっぶり。「あんこう鍋セット」(いわき市)はこれまで発売していた「どぶ汁」をリニューアル。お好きな野菜とともに煮込んで熱々を。いずれも、復興と「海の恵み」への感謝から生まれた逸品だ。 フルーツ王国でもある福島。「のむもも」(福島市)は風評被害に悩む園主の起死回生の知恵から生まれた。「あんぼ柿パウンドケーキ」(福島市)は、女性パティシエが、実家でつくるあんぼ柿にヒントを得て生み出した。「巨峰の枝付き干しぶどう」(福島市)は甘みと酸味がぎゅっと凝縮。ワインとともに。

復興フェアご賛同企業の
3.11における活動をご紹介します。

東京ガスと日比谷花壇は、社内ネットなどを通じて社員の皆さんに「復興フェア」をご案内いただきました。
被災地への支援を続ける各社の活動を紹介します。

あのとき、東京ガスは……

「ガス会社の使命、というのを改めて実感させられました」。東京ガス総合企画部の山田俊彦さん(46)は8年前の東日本大震災をこう振り返る。

当時は都市ガス事業者でつくる「日本ガス協会」に広報担当として出向中だった。仙台市の中心部ではに、ガス管の被害、港ちかくの工場が津波で冠水して、都市ガスの供給が全面的にストップした。仙台市ガス局の応援要請を受けて、全国の都市ガス事業者から次々と復旧作業を担当するガスマンたちが到着した。

山田さんの仕事は、復旧状況をメディアなどに伝える広報班の班長だった。「私が仙台入りしたのは震災から1週間ほどしてからでした」と山田さん。すでに、全国から駆けつけた都市ガス事業者ごとに、復旧地域の割り当てが決まり、作業が始まっていた。

ガス管の復旧は、まずガスが止まった全てのお客さまの家を訪問しガス栓を閉める。その後、地中を掘り返して、ガス管の被害があった箇所を修繕し、埋め戻す。そして、再度全てのお客さまの家を訪問しガスが安全に使えることを確認したうえで、ガス栓を開ける作業だ。

ガスマン2700人 仙台で挑む4800キロ
ガスマン2700人 仙台で挑む4800キロ

山田さんが驚いたのは、東京、大阪、西部ガスなど各地から集まったガスマンの使命感の高さだった。「インフラを支えているという使命感は地元でも被災地でも同じ。市中のホテルはほとんど満室で、多くの応援隊は片道1時間以上バスに乗って、行き来していました」と振り返る。

山田さんは被災地の仙台や石巻市にのべ1カ月強いた。
各地で違う色の制服を着たガスマンたちが工事をしていた。
阪神・淡路大震災や新潟県中越地震で被災したエリアにあるガス会社からの応援隊は「恩返ししなきゃ」と言っていたのが記憶に残る。

復旧が進むにつれて、市民からお礼の手紙や電話が仙台市ガス局に寄せられるようになった。「何日ぶりにお風呂に入れたことか。ありがとう」という電話や、幼稚園児や小学生から絵入りの手紙も届いた。

それを事務所に貼った。「応援のガスマンたちがじっと読んでくれるんですね。きっと励みになったんでしょう」。

復旧作業事の打ち合わせでは、各地の方言が飛び交った。ガス管は、北から南まで全国につながっているわけではない。でも、気持ちというか、絆はつながっているんだ、と思った。

仙台市ガス局によると、応援にかけつけたのは北海道から九州まで49事業者、のべ約72000人にのぼった。復旧が完了したのは4月16日だった。山田さんが勤務する東京ガスグループは、被災地にのべ約5万人の社員を派遣した。それだけに、東京ガス社内でも震災に思い入れのある社員は多い。

(朝日新聞SHOP・浅野真/2019年1月取材)

あのとき、日比谷花壇は……

被災地にスイセンの花を咲かせよう……。「朝日新聞SHOP」とのオリジナル仏花が人気の日比谷花壇は、2011年から13年にかけて、「スイセンプロジェクト」の支援を行ってきた。

プロジェクトを立ち上げたのは園芸家の柳生真吾さん(故人)だった。柳生さんは被災地を訪れ、がれきの中で津波にも負けずに咲く黄色いスイセンを見かけた。「元気に咲くスイセンが被災地の方々に希望と元気を与えるのではないか?」。
こう考えた柳生さんが、全国の庭からスイセンを集めて東北へ贈るスイセンプロジェクトを始めた。

日比谷花壇は、柳生さんの考えに共感しプロジェクトに参画。
スイセンの球根の受け入れ先として同社の東北のセンターを提供し、被災地へ、球根を振り分ける役割をした。社員自身も被災していたが、東北を花で元気にしたいと作業を進めた。

震災からわずか半年後の9月のことだった。

日比谷花壇は、スイセンプロジェクト「球根シェア 5for5」という活動も始めた。スイセンの球根を5個買うと、被災地にも別の5個が送られる仕組み。自宅にも、被災地にも、翌春にはスイセンがきれいな花を咲かせるという、一方的ではない、「球根がつなぐ支援」だった。

なぜ、スイセンをシェアしたのか。
「年が経つと被災地以外はだんだん無関心になりがちです。スイセンを自宅に植えていただくことで毎年春になれば咲くスイセンの花を見て、震災の歴史を忘れないという企画にしました。」と、日比谷花壇。

被災地での配布は、2011年9月23日、仙台市にある「仙台一番町商店街」で2万個。続いて、陸前高田、気仙沼、大船渡、名取市など。小学校や仮設住宅の庭地、道路沿いなどに球根は植えられた。2011~2013年にかけて、全国から寄せられた球根は、約13万個にもなった。岩手から宮城、そして福島の沿岸にスイセンの球根が植えられた。(http://suisen-project.com/map2011/

柳生さんは2015年、咽頭がんのため、47歳の若さで亡くなった。「スイセンプロジェクト」を始めるとき、こんな呼びかけをしていた。

「大きな団体だけが支援できるわけではないと思うのです。一人一人の思いを球根に託しましょう。きっと、その想いは春に芽をだし、花を咲かせることでしょう!」。一人一人の思い……。今回の復興フェアにもつながると感じた。

(朝日新聞SHOP・浅野真/2019年3月取材)