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コシノ3姉妹、三者三様の作風

2011年9月5日10時21分

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写真:2000年、大阪府岸和田市で開いた3姉妹ショーで勢ぞろいした4人。左からヒロコ、綾子、ジュンコ、ミチコ拡大2000年、大阪府岸和田市で開いた3姉妹ショーで勢ぞろいした4人。左からヒロコ、綾子、ジュンコ、ミチコ

写真:ヒロコの絵画とドレス=2011年7月、パリ、大原広和氏撮影拡大ヒロコの絵画とドレス=2011年7月、パリ、大原広和氏撮影

写真:ジュンコの作品=1998年パリで発表。ジュンココシノ提供拡大ジュンコの作品=1998年パリで発表。ジュンココシノ提供

写真:ミチコの作品=1998年秋冬ロンドン・コレクション、ミチココシノジャパン提供拡大ミチコの作品=1998年秋冬ロンドン・コレクション、ミチココシノジャパン提供

 国際的に活躍するデザイナー、コシノ3姉妹。その母、小篠綾子(1913〜2006)の生涯が、来月始まるNHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」で描かれる。「しっかり者のヒロコ、大胆で度胸のあるジュンコ、素直で優しいミチコ」と綾子が評した、3人の作風や横顔を紹介する。

■「ヒロコ」はエレガント

 黒の地に金色で松を描いたドレスや、打ち掛けのようなローブを添えたドレス。和のムードと洋の優雅さが融合している。

 コシノヒロコ(74)が今年7月、パリで開いた展覧会。自作の絵画と、それに基づいて発想した服とを展示した。「服を売るためというよりアート活動。既製服ラインの服づくりにも厚みが出る」と言う。

 幼い頃に祖父と見た歌舞伎や文楽、長唄三味線など日本の伝統文化が、素地になっていると話す。

 母の綾子は大阪・岸和田で洋装店を営みながら、出征先で病死した夫に代わって3人娘を育て上げた。ヒロコは後継ぎを期待されて反発し、一時は画家を志すが、中原淳一のデザイン画を見て「縫うだけが服飾じゃない。絵で表現できるんだ」と開眼した。

 文化服装学院在学中、来日したピエール・カルダンに会って海外を意識、1978年にはイタリア・ローマでデビュー、その後パリ・コレに進出した。

 「競わせてライバル意識をあおる」のが綾子の子育てだったという。「その結果、私はエレガント系、ジュンコは前衛的、ミチコはスポーティーと、三者三様の作風が生まれたのだと思う」

■「ジュンコ」は前衛的

 次女ジュンコ(72)は力強く構築的な服づくりが持ち味だ。子供のころひかれたのは、バレエなど「洋モノ」の習い事。「だんじり祭り」で山車を引く、やんちゃな子でもあった。

 高校時代には油絵が得意で、一時は美大を目指したが、姉と同じ文化服装学院に進んだ。在学中に「装苑賞」を受賞。新宿のジャズ喫茶に通い詰め、グループサウンズの衣装を手がけるようになる。東京・青山に開いたブティック「コレット」の顧客には作詞家の安井かずみ、渡辺プロダクションの渡辺美佐らがいた。

 「私にとって音楽とファッションは一つのもの」。78年、初めてのパリ・コレのショーでは中国の民族音楽を使う。キューバではプロのダンサーを使った大規模なショーもした。

 「文化の交流」を常に心がけ、85年にショーを開いた中国との絆は深い。

■「ミチコ」はスポーティー

 スポーティーでカジュアルな作風の三女ミチコ(68)は73年からロンドン在住。80年ごろから06年まで、ロンドン・コレクションで作品を発表してきた。

 中学時代からテニスに打ち込み、選手として活躍したが、職業にはしないと決めていた。服飾学校には通わず、母を師として縫製やデザインを学ぶ。「仕事場でいつも遊んでいたので、服を作ることは全然難しいと思わなかった」

 母については「フレッシュで着やすい服という意味で、『洋服を通じて女の人を幸せにする』ことを徹底した人」と語る。

 ロンドンに行ったのは、好きな音楽が身近にある環境にひかれたのと、姉たちのコネのないところに自分のテリトリーを作りたかったから。姉たちのことは「ライバルというよりマーケティングのよい例。いつも2人と違うことをやろうと考えている」という。

 最近、リゾートウエアのラインを新しく作り、スペインのリゾート地、イビサ島でショーをした。秋には日本で化粧品ブランドも始める。(安部美香子)

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