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2011年12月15日10時42分
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「黒の衝撃」受け継ぐ若手 ヨウジヤマモトら登場30年

写真:左からメゾン・マルタン・マルジェラ、サカイ、フェノメノン=2012年春夏作品。大原広和氏撮影拡大左からメゾン・マルタン・マルジェラ、サカイ、フェノメノン=2012年春夏作品。大原広和氏撮影

写真:コムデギャルソン(1982年の作品、ピーター・リンドバーグ氏撮影)拡大コムデギャルソン(1982年の作品、ピーター・リンドバーグ氏撮影)

写真:ヨウジヤマモト(1983年の作品)拡大ヨウジヤマモト(1983年の作品)

 2人の日本人デザイナーがパリのファッション界に大きな衝撃を与えたのは、ちょうど30年前のことだった。そして今、2人の挑戦的スピリットを受け継ぐ「子供」と自任する若い世代のデザイナーの活躍が目立っている。経済の停滞や社会不安が広がる中、既成の枠組みへの反抗心をかき立てた「黒の衝撃」の精神はなお、後続を魅(ひ)きつけている。

 1942年生まれの川久保玲、一つ年下の山本耀司がそろってパリ・コレクションにデビューしたのは81年春。どちらもほとんど黒一色で、ボロのようにほつれ、形はゆったりとして非構築的だった。

 「みじめな貧乏ルック」との揶揄(やゆ)もあったが、派手な色彩や形の華美さを競いながらも均質化の停滞に陥っていた、当時の西欧ファッションに風穴をあける「黒の衝撃」とのセンセーションを巻き起こした。スタイルの背後には、欧米より先に進んだ日本の若者中心の大衆消費社会化や、日本独自の布を体にまとう発想などが潜んでいた。

 今年10月に開かれた2012年春夏東京コレクションで、メンズの新進ブランド、フェノメノンが発表した紋つきの白シャツ、ひだ入りミニスカートのスタイルは、川久保が手掛けるコムデギャルソンが90年代に発表し、数年前も話題となった「スカート男子」をほうふつとさせた。

 デザイナーのオオスミ・タケシは「震災後に決めたテーマは日本。日本ファッションの代表といえば、川久保さん。その強い姿勢で現状を変えようとしてきた彼女に、改めて敬意を捧げようと思った」と語る。

 同じ22日に開かれたミントデザインズとアンリアレイジの合同ショーのタイトルは、「10・22」。川久保と山本が91年6月1日に開いた合同ショー「6・1 THE MEN」に倣い日付を際だたせた。「3・11後の困難な社会の中で、作風は違っても同じ思いを結束して伝えることの重要さを思い起こした」とデザイナーたち。先人の2人は西洋的な価値観の見直しに挑んだが、後進の若手は震災後の日本、そして現代世界の見直しを試みているようだ。

 いま欧米で最も注目されているサカイの阿部千登勢は、コムデギャルソンで8年働き「労力を惜しまず、経営的にも自立することの中から新しい創造が生まれることを学んだ」という。服を解体する手法などは師と共通するが、目指すのは、「創造性のある日常着」。一見、普通っぽいが、素材や量感に思いがけない新味がある服を作る。

 ビューティフルピープルの熊切秀典も「コムデギャルソンに勤めて、新しくて強い物作りが自由な発想につながることを理解した」と語る。定番となった、おしゃれなのに大人と子供が一緒に着られる服は、その成果という。

 モードとストリートスタイルの融合を図るアンダーカバーや、和の美意識を追求するまとふも、川久保や山本の反骨心を引き継ぎながら、現代社会の用と美を探す。

 海外でも、90年代に前衛的な手法で旋風を巻き起こしたマルタン・マルジェラらベルギー派などを中心に2人の「子供たち」を自任するデザイナーは多い。ベルギー勢の活躍の陰の立役者で、ドリス・ヴァン・ノッテン広報部長のパトリック・スカロンは「パリ発の絢爛豪華(けんらんごうか)な服に対して、破壊的でコンセプチュアルな自分の流儀でやっていいと教えてくれた」と語る。

 ロンドンの英国王立芸術大学のウェンディ・ダグワーシー教授は「建築やデザイン関係の学生の間でも、川久保や山本に再注目する傾向が高まっている」と話す。

 最近の新進ブランドや学生デザインコンテストの参加作品でも、型破りな造形性に挑戦した作品を見かけるようになった。

 パリのポンピドー・センターのフランソワーズ・ギション学芸員は、「服の背景には世界があるということを2人は初めて明確に示した。危機の時代に、そのことが見直されている」と見ている。(編集委員・高橋牧子)

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