現在位置:asahi.com>食と料理>コラム>「神の雫」作者のノムリエ日記> 記事 ![]() 味覚のデータベースは子ども時代に作られる2007年11月29日 ワインを楽しむ時、格付けなどのウンチクは知る必要はあまりないと思うが、複雑な味わいを楽しむための味覚、華やかで多重性のある香りを探すための嗅覚は、優れていた方がいいだろう。この味覚と嗅覚とりわけ味覚については、我々姉弟は、コンビニ弁当やファストフードを美味しそうに食べているイマドキの若者たちよりは、いくらかレベルが高いんじゃないかと自負している。
人間の味覚は、子ども時代にどんなものを食べてきたかで決まるといわれる。例えば日本マクドナルドの創業者、藤田田氏は「人間は12歳までに食べてきたものを一生食べ続ける」と語り、味の刷り込みをすべく、12歳以下の子供たちをターゲットにハンバーガーを売りまくってきた。藤田氏亡き後も、マクドナルドは豊富なおまけオモチャで子どもたちを惹き付け「刷り込み」を続けているようだが、我々の子ども時代はファストフードもコンビニもまだ日本に上陸していなかった。家庭では誰もが母親の手作り料理を食べていたし、我が家は同居していた祖父が食い道楽だったため、たまの外食でもけっこう贅沢なものを食べさせてもらっていた。祖父のお気に入りは、1960年代の日本ではかなり珍しい存在の、高級フランス料理店だった。この店は今はもうないが、名前を『コッカバン』(鳥料理)といって、若鶏の赤ワイン煮、小悪魔焼き、香草焼きなど、手の込んだフランス料理を出していた。祖父は「食い物にかける金は惜しくない」などといいながら、10歳にもならない頃から、我々をよくこの店に連れていってくれた。私がとくに好きだったのはこの店のスープと、料理に添えられたソースだった。どちらも何種類かの香草と肉と野菜とが混然一体となったような、複雑な味がした。オーケストラのように多層的で厚みのある味わいそれはお手軽な料理には存在しない、手間と時間と技術と、良質の素材が揃って初めて産み出される味だった。 お店は落ち着いた雰囲気で、作業場である厨房の扉はいつも固く閉ざされていたが、一度だけ、中を見たことがある。シェフは、金髪のフランス人だった。当時は外国人のシェフがいる店なんてめったになかったから、子ども心に「すごい」と驚いたのを覚えている。 さて、今でもありありと記憶に残るコッカバンの鳥料理を思いだしながら、我々は余興でバーチャル・マリアージュをやってみた。「若鶏の赤ワイン煮は、重めの味だったから、ソースはボルドーワインかな」「合わせるならCHモンローズなんかいいかも」。スパイスの効いた小悪魔焼きは、黒胡椒の風味があるローヌワイン、クリームソース煮にはまったりとしたロワールの白……。「タイムトリップして、あの店の料理でワインを飲んでみたいなぁ」と、弟は切なげに言う。 大人になってから、一流のフランス料理は何度も食べた。本場フランスの星つきレストランにも行った。だが子どもの頃のように純粋な、染み込むような感動を受けることはもうない。そして、幼い時代の豊富な味の体験があったからこそ、いま我々はワインのもつ複雑さ、奥深さを理解できるようになったのだと思う。ワインに限らず、食材の複雑な味を理解し表現するには、膨大な味覚のデータベースが必要だ。子どもの頃からお手軽メシばかりを食べていると、素晴らしい食事もそして素晴らしいワインも、理解できない大人になるような気がするのである。
■今回のコラムに登場したワイン
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