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紙面から from Asahi Shimbun

 【逃れられぬあの日 コンロの青い火に重なる閃光 被爆60年アンケート】 (2005年7月17日 朝刊)

 日常が60年前の体験に結びつく。雷鳴、コンロ、焼き魚、水……。広島と長崎で被爆した人たちが物や音、においに、あの日の記憶を重ねてしまう実情が、被爆60年アンケートでわかった。心的外傷後ストレス障害(PTSD)という専門家の指摘もある。日常生活で被爆体験を「思い出す」と答えた人は76%。何でもないことが、被爆者を惨状の中に引き戻す。

 湯をわかそうとコンロのスイッチをひねり、青い火を見た瞬間だった。原爆の閃光(せんこう)の記憶は突然よみがえった。

 広島県呉市の女性(75)は7年前のその日以来、一度もコンロにさわれない。去年からは飛行機の音が聞こえると、「爆弾を落とすのでは」と感じて耳をふさぐ。
 広島の爆心地から約1キロで被爆。光で気を失い、がれきの下敷きに。気づいてはい出すと、辺りは火の海で、川は沸騰しているようだった。
 8月末に瀬戸内海の島にある実家に戻ったが、太陽の光を見ただけで取り乱した。両親は天幕で部屋を真っ暗にした。髪が抜け、血を吐き、1年以上療養。子や孫に体験を話したことはない。一緒に住む長男夫婦には「ばあちゃんは火を使わへん」と言っている。
 「雷が鳴ると動悸(どうき)がひどく、動くことも自動車の運転ももってのほか。死人と同じ状態」  アンケートにそう書いた長崎県諫早市の上野宏さん(74)は、空に暗雲が広がると手が震え言葉が出なくなる。カーテンを閉め、布団をかぶる。
 45年8月9日、長崎の爆心地から1・5キロの校舎にいた。閃光の直後、机の下にもぐった。教師だった戦後の40年間、保護者に「雷が鳴れば授業を中断する」と説明したという。

    □    ■

 光や音ではなく、「闇」を恐れる人もいる。
 広島県世羅町の山内宣治さん(67)は「真っ暗な所に入ったとき、何かが迫ってくる気がする」という。病気がちでその日も自宅で寝ていた。光に続いてドンという音がして真っ暗になった。祖母に助け出された。
 50代で胃を手術したころから、暗闇が怖くなり始めた。「高熱が出ると天井が落ちてくる幻想に襲われる。祖母の表情を鮮明に思い出す」

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 被爆直後、焦土の中をやけどを負った多くの人が水を求めさまよった。
 福岡市博多区の一瀬清子さん(74)は、透明なコップに入った水が飲めない。「水を、水をー」と無数の傷ついた腕が体にまとわりつくような気持ちになるからだ。
 路面電車で広島市の女学校に向かう途中、爆心地から約2キロで被爆、ガラスが全身に刺さった。逃げ込んだ防空壕(ごう)で他の負傷者の救護にあたり、医師が指示したやけど患者にだけ水を飲ませた。「あげないと、肩や腕にすがりついてきた。かわいそうと思う前に、恐ろしかった」という。
 戦後、家族にもこのことは話していない。

 福岡市中央区の山内良巳さん(75)は「焼け跡のにおいが鼻に残り、焼き魚が嫌いになった」とつづる。長崎の爆心地から500メートル余の自宅で父は黒こげに、母は骨になっていた。父を火葬しても涙は出なかった。その罪悪感が消えない。
 「死体を初めて見たときは腰を抜かすほど驚いた。しかし、毎日だと何も感じなくなる。戦争の恐ろしさは爆弾が飛んでくることだけではなく、人間の精神をもおかしくしてしまうことだ」

 ◆被爆体験を思い出させるものと生活への影響

 フラッシュ 原爆の閃光で目がくらみ前後も分からなかった。戦後しばらく写真を撮られるのが嫌だった(男性73歳=広島県)
 祭りの人波 被爆後、機関車で郊外に逃げるとき線路に沿って人々が歩いていた。思い出して苦しくなる(男性78歳=広島県)
 スマトラ沖津波跡 がれきの中、何日も母を捜した。津波跡で片づける人たちを見てにおいがよみがえった(女性76歳=東京都)
 「核」の文字 皮膚のむけた人が次々と倒れた姿が目に焼き付いている。テレビや新聞でこの文字を見るだけで怖い(女性64歳=大阪府)
 キュウリの輪切り 防空壕でやけどした男の人がべたべた張っていた。今も口にすることはない(男性64歳=長崎県)
 焼いたスルメ 死体を一日中焼き、においが体にしみつくようだった。思い出して食べられない(男性75歳=東京都)
 桜島 長崎の造船所から浦上方面を見ると黒煙の塊が見えた。今、自宅から見える桜島の噴煙を見ると思い出す(女性77歳=鹿児島県)
 キョウチクトウ 地獄の光景で真っ赤な花を咲かせていた。みんなの血を吸って生きていると思った。見ると髪が逆立つ(女性76歳=大阪府)
 (アンケートの記述や回答者からの取材に基づき作成)