中国・上海の復旦大学で歴史を研究する先生方と話し合った際、「求同存異」という言葉を再三聞いた。
基本的な状況認識や原則での合意をめざす一方、各論や細部の違いは違いとして互いに認めあうといった意味とのことであった。
会合では中国側から、多様化する歴史認識についていろいろと言及があった。
「戦前の上海租界でも在留日本人と中国の民間人の間で良好なつきあいがあった。戦中でも侵略や略奪ばかりでない交流があったことに目を向けなければ」
「租界自体も侵略の足場だっただけでなく、近代文明を導入する窓口でもあった」
「日本と中国の戦争も多様な側面から検証する必要がある」……といった具合に。
「求同存異」に従って、個別の史実については多様な見方をもとに内外で大いに議論をしたら良いというのが、先方の主張の眼目だった。
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先般上海で開いたアジア太平洋経済協力会議(APEC)に際しても「求同存異」が盛んに語られたと、仲間の中国ウオッチャーから聞いた。
たとえば、参加各国・地域の経済人を前にした講演で江沢民主席は、「われわれは民族や文化、社会の制度、経済の発展水準などの相違を尊重しあう『求同存異』によって共同の発展と繁栄を追求すべきだ」と力説した。
ブッシュ米大統領との会談でも主席はこう語っている。
「多彩な文化が混在する世界において、中国と米国が異なる見方を持つのは当然だ。長期にわたって共存していくには『求同存異』で共通点を広げることが大事だ」
言葉のそもそものいわれはつまびらかでないが、70年代の米中、日中の国交正常化の際にも基本的な考え方として盛んに語られたと聞く。
当時は冷戦時代のさなか。異なる社会制度やイデオロギーの対立を超えて関係を修復する理屈として喧伝(けんでん)されたのであろう。
そして、異なった文明、文化が激しくぶつかる今日。勢いに乗る中国の自信か。抜き差しならぬ矛盾と対立を内包する危機感ないしは戦略か。
ともあれ「正義か否か」と突きつける米国的発想とは異なる流儀がここにはある。
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最近の中国は一歩進んで「求同化異」に。つまりは、相違点を詰め合い融和していく努力が必要だとの主張に力点が移っているそうだ。
互いの死活にもつながる地球規模、地域規模の切迫した共通課題に直面する今日、「求同存異」と「求同化異」を対外関係の基本にしたいと、アジアネットワーク客員研究員で中国人の劉傑・早稲田大助教授は言う。
問題はそのしたたかさと度量が、今の日本に備わっているかどうかである。