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AAN発
動く中国とつきあう
豊かさ求め大都市 ・海外に移住
 成功と貧困明暗くっきり
園田茂人
中央大学教授

園田茂人・中央大学教授
84年に初訪中。以来、中国に進出した日系企業の従業員や都市部の中間層の意識調査などを通じて、中国人の意識や行動の変化を見つめ続ける。41歳

 9月3日、私は延吉にいた。延辺朝鮮族自治州成立50周年の式典参加が表向きの目的だが、5年ぶりに訪れる延辺の変化を感じてみたかった。

 式典の会場には3万人を超える人が集まっていた。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の専門家の指導を受けたというマスゲームは見た目も鮮やかで、客席に陣取った中学生たちは人文字を作り、興趣を添えた。民族衣装を身にまとった朝鮮族の女性たちも太鼓やドラを鳴らし、祝典の雰囲気を盛り上げていた。

 貴賓席には韓国からの招待客が数多くいた。延辺の現在を示す象徴的な光景だ。その中に、以前北京で調査に協力してもらった李在国さん(仮名)の姿を見つけた時にはびっくりした。式典に参加するために、北京から戻ってきたという。

            ◆            ◆

中国図

 中国の朝鮮族は92年の中韓国交回復を境に「民族大移動」を開始する。東北に多く住む朝鮮族が、よりよい生活を求めて北京や青島、上海など、韓国企業の投資が盛んな沿海部の大都市、さらに韓国や日本にも移るようになった。李さんも、そんな一人だった。

 延辺大学を卒業後、北京の出版社で勤務していたものの、ある韓国人の通訳をしたのがきっかけで訪韓の機会を得た。韓国のテレビコマーシャルに魅了され、「中国の広告業界の水準を上げたい」と決意。いまは北京で広告会社を経営する。

 2人の兄弟もそれぞれ韓国と日本で学位を取得、中国に戻った。企業経営も軌道に乗っての帰郷は、いわば「故郷に錦を飾った」格好になる。

 ただ、都市に出た朝鮮族がみな成功しているわけではない。

 以前北京で調査の相手になってくれた朝鮮族夫婦の場合、2人の月給を合わせて2500元(約3万7千円)程度。故郷に残した子供のための養育費と北京での生活費を除くと、ほとんど手元に残らない。そのため、多くの金が稼げる瀋陽のカラオケ店に妻が先に移り、夫を後から呼び寄せる計画を立てていた。

 学位をもっていないと、よい仕事に就くことは難しい。しかも、都市に呼び寄せた子供に現地の学校で教育を受けさせようとすると多額の費用がかさみ、生活は苦しくなる一方だ。こうした貧しさの悪循環に悩む人々は晴れやかな式典の会場から自然に足が遠のくことになる。  

            ◆            ◆

 式典に出席した日の翌日、延吉から車で20分ほどの郊外にある村に足を延ばしてみた。ところが、5年前の調査に応じてくれた朝鮮族の世帯を訪ねてみても、人影がない。聞けば、一家で韓国に出ていったという。

 若い稼ぎ手が都会に出てしまえば、農村は活力を失ってしまうのではないか――。5年前抱いた予想は的中していた。

 耕作者を失った農地には雑草が茂り、ひっそりとしていた。村で若者を見かけることはめずらしく、高齢者ばかりが目につく。比較的貧しい地域からやってきた出稼ぎ者に耕作を請け負わせている耕地も多い。

 機会を求めての人々の移動の急増は、中国社会の多様性を加速させ、光と影のコントラストを強めている。実際、大量の人口移動は、朝鮮族自治州としての延辺の性格をも変えつつある。多くの人々が流入・流出した結果、延辺自治州の朝鮮族の割合は4割。これに対し漢族は6割近くになった。

 こうした事態を、どう考えているのだろう。「延辺日報」の編集顧問をしている地域言論界の長老、張正一さんに聞いた。

 「確かに問題がないとはいえないでしょう。しかし、人間がよりよい生活を求めて移動するのは自然なこと。流れを止めることはできません。私たちだって、週末に東京やソウルに出かけ、コーヒーの一杯でも飲んで帰ってきたいのですよ」

 穏やかな張さんの口調には、不思議なまでに説得力があった。人口移動の巨大な流れが社会を変える――私は延辺に「動く中国」の縮図を見た。

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