コンビニや飲食店でアジア系外国人の店員に出会うことがめっきり多くなった。自動車や水産加工などの工場でも、たくさんの外国人労働者が働く姿を目にする。
1980年代以降の経済の地球化とともに、日本に来て住む外国人が増え、多様化した。多国籍化も急速に進んできた。
金を稼いだり、技能や知識を高めたりする機会を、豊かな日本で得たい。就労や留学、就学、結婚、家族の呼び寄せ。様々な形で外国人が日本にやって来る。
日本の側にも外国人への需要がある。多くが企業の要請だ。単純労働者は受け入れないというのが入国管理の建前だが、外国人の手を借りなければ現場が回らない。日本人が就きたがらない仕事もある。
こうして、いま200万人を超える外国人がこの国に住む。在日韓国・朝鮮人などの特別永住者約50万人に加えて、研究者や芸術家、ビジネスなどの在留資格を持つ人、南米からの日系人、技能実習のための研修生、それに在留者の家族や学生たち。滞在期間が過ぎるなどした「不法残留者」約22万人も含まれる。
問題は、こうした現実があるにもかかわらず、増え続ける外国人にどう向きあうのかという哲学が、政治にも行政にも国民の意識にもまだ希薄なことだ。
実際、外国人の暮らしにかかわる行政の所管は、ビザは外務省、入国管理は法務省、雇用や福祉は厚生労働省、子どもの教育は文部科学省といった具合で、横の連携は乏しい。自治体は次々に持ち込まれる問題に対症療法的に対応せざるを得ない。
専門的な職業を持つ人々は恵まれた日本生活を送ることができるだろう。だが、医療費や言葉の問題で病気の治療を受けられなかったり、子どもを学校にやれなかったりする外国人がいるのも現実だ。
一方で、日本人の間には、外国人が増えれば犯罪ももっと増えるのではないかと懸念を抱く人もいる。
こうした様々な問題は、もはやこのままにしておけないところに来ている。
例えばアジアの国々との自由貿易協定は、物と金だけではなく人の移動ももっと自由にしようとするもので、フィリピンやタイは日本に対して介護士や医師、マッサージ師などの受け入れを求めている。
国内には反対論も強いが、少子・高齢化が進む日本はいずれ、そうした人手を外国に頼らざるを得なくなる時が来る。
民族的にも文化的にも同質との観念が強い日本社会には、外国人の存在を疎ましがるきらいがある。しかし、閉じられた島国として生きられる時代はとうに終わった。外国人とともに生きる仕組みを真剣に考える。迫られているのはそうした覚悟だ。
外国人との共生について、朝日新聞アジアネットワークがまとめた報告「アジアに開く日本」が別の面に載っている。そちらもぜひ読んでいただきたい。