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普遍的価値、日米から深化を


小倉 和夫
国際交流基金理事長

元駐韓、駐フランス大使。青山学院大特別招聘教授(日本外交論) 朝日新聞アジアネットワーク委員。67歳。

「日米両国は……普遍的な価値観を共に推進していく」

これは6月29日に発表された日米共同文書の第1項にある言葉だ。ここで言う普遍的価値観とは何か。共同文書曰(いわ)く、自由、人間の尊厳及び人権、民主主義、市場経済、法の支配。一見至極もっともに聞こえる。

これらの価値を日米両国が共有していることは多くの人々も認めるだろう。しかし、両国は他国に向かってこれらの価値を「推進する」と胸を張って言えるのだろうか。特に問題な点は、アジアの国々との関係だ。

「アジアは、民主主義、自由、人権、市場経済、法の支配といった普遍的価値観に一層拠(よ)って立つ地域へと変わりつつある」――共同文書はこう言っている。

本当にそうであろうか。長期的に見ると、確かにアジアの民主主義や市場経済は進みつつあるように見える。しかし韓国の若い世代では北朝鮮より米国の方が圧倒的に脅威と見られており、また中国は利害共有国(ステークホルダー)ではあり得ても、価値観を共有できる国からは程遠い。加えて、日本の植民地支配に対する反省や戦争責任の問題もアジアとの価値観の共有には避けて通れぬ道だ。

原理だけで立ち向かうというのだろうか。もしそうだとしたら、そのための方法ややり方はどうなのか。このように考えれば考えるほど、アジアにおいて価値の共有を推進していくためには少なくとも二つのことが不可欠のように思われてならない。

一つはアジア内部において、すなわち、日中、日韓において、共通の意識がもっと育たねばならぬ。中国における民主化と人権尊重、韓国における権威主義と狭い民族主義の打破、日本における「過去」の自省の深化が不可欠である。アジアにおいて日本が偽善的態度をとることは厳に慎まねばなるまい。

北朝鮮のミサイル発射に対して日米両国が厳しい対応をするのは当然すぎるほど当然である。しかしそれは単にミサイル発射が極東の平和と安全を脅かすからだけではない。また、こうした北朝鮮の態度が核拡散問題の国際的取り組みに水を差しかねないからという理由を付け加えても、それに尽きるわけではない。「北」のミサイル発射や拉致問題への対応は、第2次大戦の反省に基づく日本の平和と民主主義についての信念と、その信念を貫いてゆくための国際的前提に真っ向から反するからこそ、日米両国はこれに厳しい態度をとるのである。

現代の国際情勢の下において、日米が戦略的同盟を結ぶことの効果と利益はほとんど自明である。そして、それが民主主義と自由の価値を守る同盟であることも自明である。しかし、そうした価値は、「共有」される前に、自己の内部において深化されねばなるまい。

グアンタナモの人権無視についての米国の自省もなく、また日本自身が、自らの「過去」についての自省を通じて、民主と人権の価値観を深化することを怠りながら、日米同盟の上だけで価値の共有を叫ぶとしたら、そうした「共通の価値観」なるものは軍事同盟にかぶせた美しい着物にすぎないことになり、着物の下の鎧(よろい)を隠すための「偽善」となりかねない。

あらゆる演劇がそうであるように、劇場政治もタブーへの挑戦にこそ意味があり、その演出に観客は知らず知らず巻き込まれてゆく。それは一つの歴史の演出でもあろう。しかし、偽善という言葉がその言葉の由来であるギリシャ語では元来「舞台で演ずる」という意味であったことを忘れるべきではない。

舞台での演出がいくら上手でも、それだけでは価値観の共有にはつながらない。なぜなら価値観の共有は、演劇空間の体験を通じてというよりも、むしろ、現実の行動空間における共通の体験を通じて育成されてゆくものだからだ。

2006年7月19日


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