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朝日新聞アジアネットワーク
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朝日アジアフェローのコラムやシンポジウムの詳報

日本の文化力 アジアの意識映す鏡たれ

王 敏(ワン・ミン)/法政大教授、朝日アジアフェロー世話人

2007年05月14日

写真:王敏さん

 先日、警察官ら4人が死傷した愛知県の立てこもり事件で、犯人投降の現場がテレビで報じられた。指示された通りに行動する男に対して、「ありがとう」と警察から感謝の言葉が発せられた。

 神経が高ぶっている犯人を刺激しないためのマニュアルに沿った対応だとの話も聞いたが、見ていた在日外国人の中には、「日本人はここまで寛容なのか」と驚いた人が多かったのではないだろうか。

 異なった文化や考え方、価値観を外国人同士が理解し合うのは簡単なことではない。

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 私はアジア各国から日本に来ている人たちと話し合う機会が多い。そこで気づくのは、彼らの日本観がよく似ているということだ。好きなところは二つに集中している。便利、清潔、快適、精緻(せいち)、美を愛する日本。もう一つは言論や思想、行動が自由な日本だ。

 実は、日本の生活文化への評価は開国以来、ずっと続いている。『外国人の見た日本』シリーズ(筑摩書房)を始め多くの書籍に詳しく記されてきた、いわば古くて新しいテーマだ。

 そこでよく評価の対象となってきたのが「日常的」な生活である。脈々と続いてきた「もの作りの精神」とその実践。それが、現代の生活でも隅々にまで行きわたっている。

 「もの」に精神が彩られれば、「もの」と生き物の境界が混沌(こんとん)となり、他者への気遣いが本能的に機能する。「万物有霊」の自然融合感がおのずと生活観や人生観、そして世界観へとつながっていく。

 孫文の秘書だった日本研究家・戴季陶は、これを「宗教的精神」と呼び、日本文化の特徴だと指摘している。

 世界中の「もの」を取り入れ、それらを共存させてきた日本人の旺盛な好奇心も、恐らくここに結びつくのだろう。

 日本に生まれ育ち、そこで生活する日本人にとっては当たり前の日常かも知れないが、政治文化などが異なる国の人たちから見れば、日本の大きな魅力に映る。「自由」とか「寛容さ」と受けとめられるものも、こうした多様な生活文化から生まれてくるぬくもりと無関係ではないと思う。

 このような日本文化を、加藤周一氏は「雑種文化」(『日本文化のかくれた形』)といい、青木保氏は「混成文化」(『多文化世界』)と総括する。いずれも西洋からの影響を認めながら、一方で日本がアジアとの交流や相互学習から受けた影響にも力点を置く視野の広いとらえ方である。

 だが、アジアから来ている人たちが時として日本に対して感じる違和感は、こうした多様性や寛容さとは相反するところにある。とりわけ、アジア外交でそれが目につく。

 背景は単純ではないと思われるが、理由の一つは、お得意の多様性が主に「内向き」に働き、日本の「外側」の多様性への理解がまだ十分ではないからかも知れない。

 村上春樹の小説の翻訳が中国や韓国を含め世界38カ国と地域に及んでいる。マンガやアニメ、日本料理やファッションなどがアジアから世界へと広がり、受け入れられている。

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 日本版生活文化の「世界化現象」と言っても過言ではない。生活文化を通して独自性と普遍性が交錯しながら、日本の情報と知識が瞬時にアジアへ、そして世界へと伝わっていく。

 ここで注意したいのは、独自性が併せ持つ二面性だ。豊かな創造力が内包されている半面、異なる文化の価値観とぶつかり合うと、時として排他的ナショナリズムに変身する。互いに気をつけなければならない点だろう。

 このところ日本の政治家はよく、「欧米との価値観共有」を口にするが、隣近所の「アジアとの価値観共有」へ向けた熱意が十分とは見受けられない。

 かつて日本は、「漢才」とも「洋才」とも「和魂」を両立させてきた。そんな過去の歴史を振り返れば、将来への教訓やヒントはいくつもあるはずだ。

 日本に住む外国人は年々増えている。受け入れ側の日本も、異なる文化圏に身を置く外国人たちも、双方が共生の実践者である。

 安倍首相が議長を務める政府の戦略会議が、将来の留学生の受け入れ枠をいまの約3倍の35万人程度にまで拡大する方向を打ち出したのも、アジア抜きには考えられない日本の位置を反映した結果と思われる。

 これからのアジアは地域文化の大混合と、人やものの大移動が一層加速されていくに違いない。そのとき求心力を発揮するのは普遍性のある生活文化を基盤とするソフトパワーだろう。中国の古典や日本のポップカルチャーが持つ可能性も再認識されていくだろう。

 岡倉天心が『東洋の理想』の中で、政治と軍事力の競い合いよりも文化力への自覚を訴えていたことを想起したい。日本は「アジア文化の貯蔵庫」「全アジアの意識を映し出す鏡」となる国であって欲しい。

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