ここから本文エリア ![]() ![]() 第2回朝日アジアフェロー・フォーラム グローバル化 明暗まだら模様のアジア園田茂人/早稲田大大学院教授(比較社会学、中国社会論) 2007年08月06日
アジアにグローバリゼーションの波が襲っているというのは、もはや陳腐な認識に属するだろう。大量の資本が国境を越え、人や情報がさまざまなチャネルを通じて移動する光景は日常的なものとなっている。 ところが、こうした社会の流動化は、アジアに複雑な図を描きつつある。スナップショット的に、いくつか紹介してみよう。 その一。先ごろ開かれた第2回朝日アジアフェロー・フォーラム「社会から考えるアジア―格差、少子化、グローバル化」で報告した朝日新聞の松村茂雄記者によれば、中国の経済成長のおかげで造船活況にわく愛媛県今治市では、船主は潤っているものの、労働コストを抑えるために地元の人間は雇用されず、中国からの出稼ぎ者が利用されているという。そのため、同市の商店街に活気が見られないというが、そこからは、グローバル化の受益者と犠牲者が同じ地域に近接している構図が透けて見える。 その二。やはり同フォーラムで報告した阿藤誠氏(早稲田大特任教授)によれば、少産少死型の人口構造に達した国でも、出生率が下がり続ける超少子化国と、下げ止まる緩少子化国に分かれるというが、日本を含む儒教文化圏は明らかに前者に属しているという。 □ ■ □ 少子化への歯止めがきかず、合計特殊出生率が日本を下回る韓国や台湾、香港のような地域がある一方で、アジアには、少産少死型への出生力転換を終えていないフィリピンやカンボジアのような地域もあり、こうした域内格差を背景に、出稼ぎや国際結婚を通じた人口移動が急ピッチで進んでいる。 たとえば韓国は、1980年代まで中東諸国へ労働力輸出をしていたのが、最近では外国人労働力の受け入れ国になっている。タイは、ミャンマーなどから労働者を受け入れる一方で、台湾やシンガポールなどに労働者を送り出す「二つの顔」を持っている。 その三。グローバル化に対するまなざしが、地域によって異なっている。 アジア各国で継続的に世論調査を実施している「アジア・バロメーター」の06年調査によれば、「経済活動のグローバル化を憂慮している」と回答した割合は、シンガポールで13.5%であったのに中国では3.9%。「自国の利益を守るために、政府は海外の労働者の流入を制限すべきだ」とする意見に賛成した割合は、シンガポールで72.5%、中国で40.8%。「不平等で経済が発展するよりも、たとえ経済が停滞していても平等な方が望ましい」とする文言に至っては、シンガポールで64.1%が賛成しているのに対して、中国では賛成が22.6%に過ぎない。 労働力人口に占める外国人の割合が4分の1を超すシンガポールと、ほぼゼロに等しい中国とでは、グローバル化のもたらす負の側面への評価には、明らかに温度差がある。 □ ■ □ グローバル化といえば、これがもたらす価値観の均質化や、社会問題の同時代性といった側面に注意が向けられがちだ。確かに、能力主義的価値観はアジアの各地に広がり、人々は能力によって格差が生じることを不可避なものと考えるようになってきている。 教育を受けられなかった親たちは、子どもの成功を願い、競って教育投資をするようになっている。その結果、受験競争が激化し、子どもの試験に親が過剰な関心を示す光景は日本の独占物ではなくなった。 海外への留学熱、英語学習熱が高まり、アジア各国の大学は優秀な学生を集めようと躍起になっている。教育市場のグローバル化は、国民統合を目標としてきた各国の教育政策の根幹を揺るがしつつある。 グローバル化の恩恵を受ける層と受けられない層の間で格差が増大しているのも、日本に限った話ではない。 急速な経済発展が世界の注目を浴びている中国やインドでは、中間層が拡大しているとされるものの、地域間格差は着実に増大しており、これをどう是正するかが国家的な課題となっている。 不法滞在労働者の増加への対応と外国人労働者の権利保護の間で国の政策が揺らいでいるのも、アジアで共通して見られる現象だ。 ところが、グローバル化の影響を人々がどう見ているかといった点になると、アジアはまだら模様を示す。受益者と犠牲者の関係は錯綜(さくそう)し、国家を単位に議論することができない。国境を越えることで犠牲者が受益者に変わるなど、犠牲者と受益者の境界もはっきりしない。 好むと好まざるとにかかわらず、私たちはグローバル化という社会の流動化の中で生きている。「明暗」まだら模様の、「明」の色合いをいかにして増やしてゆくか。その知恵が求められている。 (朝日アジアフェロー・フォーラムの詳報は、http://www.asahi.com/international/aan/で) |