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朝日アジアフェローから

近隣外交 保守政治のゆがみを正せ

添谷芳秀/慶応義塾大教授(国際政治、日本外交論)

2007年09月03日

写真:添谷芳秀さん

 日本にとって、韓国や中国との近隣外交がなぜ重要なのか。それは詰まるところ、日本外交の行方を左右する分岐点だからである。

 戦前の日本は、朝鮮半島を日本の勢力圏に組み入れることを当然と考え、中国に軍事拡張を試みることで国策を誤った。その最後の段階で、中国、アメリカ、ロシア(当時のソ連)と同時に戦ったとてつもない歴史は、聖戦論や自衛論で片付けるにはあまりに複雑で重い。そこから戦後の、そしてこれからの生き様に関する教訓を導くことができなければ、いまさら戦前の歴史を繰り返すとは決して思わないが、開かれた国益を実現するまともな外交戦略が描けるとも思えない。

 現在優勢な保守外交の問題は、まさにこの近隣外交への的確な視点が不在であることに集約されるだろう。

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 振り返ってみれば、1999年に故小渕恵三首相の下に設置された「21世紀日本の構想」懇談会は、翌年1月に官邸に提出した報告書で、韓国や中国に対する「隣交」の重要性を説いた。日本がアジアで「自前の信認」を築きつつあるとの認識に立って、韓国や中国との領土問題および思想と認識の差異を乗り越えて、国民的交流を促進しつつ新しい協力枠組みを形成すべきことを唱えたのである。それは、冷戦後の過渡期の最中に、戦後日本の良心と知恵が集約された提言であった。

 事実、そのとき日本は、国際主義的発想から自衛隊の国連平和維持活動(PKO)への参加を実現し、日米安保関係の再確認を進め、通貨危機に苦しむアジアを懸命に支援するなど、冷戦後の世界やアジアの情勢変動に的確に対応していた。そして98年に小渕首相と韓国の金大中大統領との間で日韓の歴史的和解が演出され、中国という日本のアジア外交にとっての最重要課題への対応は後回しにしながらも、ようやく近隣外交の再構築が動き出すかにみえた。

 しかし、21世紀に入ってからの日本の近隣外交は、90年代とは逆のベクトルに突き動かされているかのように見える。韓国や中国との思想や認識の差異や、領土問題などそもそも解決が困難な政治外交課題に対して、かたくなに自己の立場を貫くことが「主体的」外交であるかのような論調が、とりわけ保守政治の世界に蔓延(まんえん)するようになった。その政治的風潮は、安倍政権の誕生でピークに達した観がある。

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 安倍外交の最大の逆説は、安倍首相の歴史問題にこだわる思想や保守的な信条とは裏腹に、就任早々中国および韓国との関係改善に踏み切ったことだろう。それは、靖国神社参拝を外交問題とみなすことをかたくなに拒絶しようとした小泉外交の後始末という意味を持っていたが、その後が続かなかったのはむしろ当然かもしれない。

 多くの世論調査で、安倍政権に対する数少ない支持理由として近隣外交の改善が挙げられていたことは、安倍外交の衝動と日本の市民社会の感覚の間には、当初から基本的なズレが潜んでいたことを如実に物語っていたといえよう。

 安倍政権下の日本外交で、近隣外交不在を象徴するのが、自由や民主主義という普遍的価値を掲げた「主張する外交」である。安倍首相の民主主義同盟論で、インドやオーストラリアへの働きかけは積極的でも、韓国が語られることはない。麻生太郎前外相が唱えた「自由と繁栄の弧」でも、アジアの将来を左右する最大の問題といってもいい中国の民主化問題に関する洞察と対応は抜け落ちている。

 それはひとえに、歴史や伝統への思いを基点に「主張する外交」が組み立てられていることに起因するように思う。自由と民主主義という本来であればリベラルな国際政治観と外交論の基盤である普遍的価値が、保守的な衝動に基づく外交のスローガンとして掲げられていて、そのゆがみが近隣外交への感性を失わせているのである。

 そこには深層部分で歴史問題が絡んでいるため、ことは極めて複雑である。日本が対応を誤れば、日本の近隣外交のひずみはアメリカへと波及する下地が存在する。日本の「戦後レジーム」やそれを下支えした「サンフランシスコ講和体制」の正統性に最も強い思い入れを持っているのは、他ならぬアメリカだからである。そこに、歴史問題に関して韓国や中国とアメリカの間に連携が生まれる素地がある。その状況に反発して自らの殻に閉じこもってしまえば、日本はますます自縄自縛である。

 ただこうは言っても、昨今の保守外交に既存の国際秩序に挑戦する革命的野心があるわけでもない。内向きの衝動を増幅しているのは、「主体性」の欠如にさいなまれる戦後のトラウマなのではないかと思う。

 いま必要なのは、戦前のみならず戦後の歴史に対する的確な視座からそのトラウマを克服し、近隣外交の再構築を基点に日本外交を立て直すことだろう。

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