2年以上も前になりますが、本ホームページに「人生の選択にあたって、日本と上海の学生は?」と題するレポートを掲載させてもらったことがあります。これは、以前私が勤務していた中央大学の学生たちが「海外ゼミ」と称して行ってきた研究活動の一環として、2003年の12月に上海大学の学生を前に発表した研究成果をまとめたものですが、その後、この海外ゼミに変化が見られたので、ご報告したいと思います。
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2004年に学生が研究パートナーに選んだのは香港大学。海外といっても比較的近く、日本との交流に熱心な教員がいたことが最大の理由ですが、学生たちは香港の大学生が、自分たちの恋愛をどう考えているのか、実際にどのような恋愛文化を形成しているかを、東京の大学生との対比で明らかにしようとしました。
翌2005年には台湾の東呉大学をパートナーに選び、今度は結婚や職業についての学生の意識を調べるために、台北と東京の学生を比較する質問票調査を行いました。
香港との対比では、東京の学生が結婚と恋愛を別物と捉える傾向にあること、香港の学生にレディー・ファーストの文化が見られるのに対して、東京の男子学生は、付き合いを始めるまで積極的だが、いったん付き合いを始めると女性への気遣いをあまりしなくなる傾向があることなど、面白い知見が得られました(園田茂人+香港ゼミ・恋愛班有志「What's Love for You?:2004年度『香港ゼミプロジェクト』報告(2)」『中央評論』2005年4月)。
また台北と東京の比較では、東京の女子学生に専業主婦指向とキャリア指向の2つのグループが見られたのに対して、台北の女子学生に専業主婦指向はほとんど見られず、結婚後の夫婦共稼ぎを当然視していることなどが明らかになりました(園田茂人+台湾ゼミ・女性の社会進出研究班有志「仕事と家庭、どっちが大切?:大学生の意識調査による日台比較の試み」『中央評論』2006年4月)。
学生サンプルゆえに過剰な一般化は禁物なのですが、ロマンチックラブの広がりや女性の職業指向の高まりといった、東アジアで共通して見られる現象も、細かく見ると地域ごとの特徴があるようです。学生たちは、自分たちの手によって得られたデータを分析することで、こうした違いを理解したようです。
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海外ゼミが面白いのは、質問票調査による知見を得られるからだけではありません。現地での活動の中で発見をすることも、また海外ゼミの醍醐味の一つとなっているのです。
2004年の香港プロジェクトの場合、一部の学生は、香港における歴史認識問題を調べたいというので、現地で野党の民主党や与党の民主建港連盟の議員にインタビューを行いました。中国返還後の香港経済の変化を知りたいという学生たちは、みずから11の日系企業とアポをとり、日系企業がどのように香港経済の現在と将来を評価しているか、詳細な聞き取り調査を行いました。こうした活動を通じ、学生たちは日本の戦争責任をめぐって香港にもいろいろな立場があることや、香港経済に対する日系企業の評価にもさまざまな違いが見られることを、肌で感じることができたはずです。
2005年の台湾プロジェクトでは、もっとすごいことになりました。
折しも連戦・前国民党主席が中国を訪問するなど中台接近が話題となり、国民党の主席に「反日的だ」とされる馬英九氏が就任したこともあって、「馬英九氏に会って、話を聞いてみようじゃないか」ということになりました。この年に異動した先の、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科に、たまたま台北市政府の顧問を父にもつ学生がいたため、そのルートから馬英九氏との会見を申し込み、台北滞在中に会うことが可能になったのです。
馬英九氏とのやり取り、及び帰国後に行った学生の討論の内容については、『世界』2006年6月号に収録されている「馬英九・台湾国民党主席との対話」をご覧頂きたいのですが、学生が大物政治家に相手に堂々と質問する姿を見て、海外ゼミの進化を感じざるをえませんでした。
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今年の海外ゼミは、再び上海になりそうです。「なりそう」というのは、現時点で確定していないからなのですが、学生たちは今、パートナーとなりうる研究者や学生を説得するため、共同プロジェクトの原案を作成している最中です。うまくいけば、日中韓の共同研究・共同発表会が可能となりますが、そこに行き着くまでには、多くの困難が待ち受けているはずです。
パートナーが国際交流に理解ある人でなければ、プロジェクトは成り立ちません。学生を動員し、共同で調査・作業をすることの意義を理解している教員でなければ、どんなに計画が優れていても、プロジェクトは進んでいかないのです。また、調査や発表会を行う際の経費をどうするか、いつ、どこで調査・発表会を行うのかといったことも決めなければなりません。必要とあれば、そのためにどこからか資金を獲得しなければならないこともあるでしょう。
一般に、こうした泥臭い作業は大学の教職員が行いますが、私は、できるだけ学生にさせたいと考えています。そうすることで、国際的なプロジェクトを進める際の困難と喜びを、学生自身が感じ取ることができるからです。
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海外ゼミを実施するようになってからというもの、学生たちは明らかに元気になりました。国内での準備、海外での研究発表と現地での研究・交流活動、帰国後の報告書作り。すべてが彼ら・彼女らを鍛え、成長させているからです。
異なる価値観は、海外にばかりあるわけではありません。国内にも、さまざまな考えの持ち主がいて、彼ら・彼女らを束ねないことには海外ゼミは成り立ちません。こうした人間臭い営みの上に、調査や研究といった知的作業が成り立っていること、そしてそれが貴重な経験であることを、学生たちは学びます。こうした苦労の上に、アジア各地での交流があるのですから、学生たちが海外ゼミに魅せられるのも理解できるというものです。