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書評
アジア関連書籍の紹介です
『アメリカの陰謀とヘンリー・キッシンジャー』
クリストファー・ヒッチンス著 井上泰浩訳 集英社(2002年)税抜き1700円

「えー、事実はわたしがいったとおりです(演壇をたたく)。チモールは米国の重要課題などではなかった。スハルトが言及していたとしても、チモールは米国の外交政策上取るに足らない問題でした。反植民地政策としてインドネシアがチモールを引き継いだと理解していたし、当時、その問題に関心など持っていたことは絶対にありません」

「時代背景を理解した上で、その問題を考えてください。南ベトナムがちょうど陥落したときです。連鎖反応で何が起こるかだれにも予測がつかなかったでしょう。インドネシアは・・・・・一億六〇〇〇万人の人口を持つ、重要な、重要な東南アジアの国です。インドネシアと問題など起こしたくなかったし、国務省で例のことを文書化したことにわたしが抗議した理由は、文書化したからではないのです。その理由は、文書が大使館に配信されると情報が漏れ出てしまうことはまちがいなかったからです。そうすれば、議論を呼び起こすことになり、善し悪しはともかく公然と議論される前に、まず内密に審議しておくのがわれわれの人権問題に対する基本姿勢であるのです」(第八章「東チモールの惨事」143ページ)

ポルトガルの支配が突然終わり、政治的な空白に陥っていた東ティモール(チモール)に、インドネシア軍が侵攻した1975年12月7日、フォード米大統領とキッシンジャー国務長官は前日までのインドネシア公式訪問を終えてハワイに向かっていた。米政権は、この訪問でスハルト大統領に侵攻について暗黙の了解を与えたとみなされている。(軍事援助を約束したという観測もある)。引用したのは、キッシンジャーが著書「外交」を出版した記者会見(95年8月11日)で、「外交」ではまったく触れられていない東チモール問題についての質問を受け、当惑している様子である。国務省のスタッフが東チモール問題の文書を関係大使館に流したことをキッシンジャーが非難したことについては、情報公開法による資料請求で明らかになっている。

著者ヒッチンス(Christopher Hitchens)は米誌「Vanity Fair」などを舞台に活動しているジャーナリストである。この本は、ヒッチンスが新旧資料を解釈し、キッシンジャーを「市民の大量殺戮」「暗殺や誘拐」「陰謀」などの罪に問うことが出来ると判断した事例を検証したものである。その現場は、インドシナ、東ティモール、バングラデシュ、キプロス、ギリシャ、チリなど。ピノチェト元チリ大統領がチリのクーデター事件で実行した人権侵害をスペインの検察官が訴追できるという、時と国境を超えて過去の人権侵害を再審査出来る時代になったことで、ヒッチンスは、キッシンジャーの行為のうち、少なくともこれだけが、訴追可能だと強調している。

「この本は著者のキッシンジャーに対する起訴状として読まれるべきだろう」というのが、原著「The Trial of Henry Kissinger」(2001)に星4つを与えたアマゾン・コムの裁定。ヒッチンスのキッシンジャーへの敵意と表現が激しいので、キッシンジャー外交を歴史として振り返るひとつの材料として同書を手にする人には、読み続けるための努力を強いられるのだが、まあこんな人なのだとがまんして読むしかない。そのような糾弾の本である。

さて、その上で「うそのうまい人は記憶力が良くなければならない。キッシンジャーは並外れた記憶力をもつ途方もないうそつきである」とキッシンジャー像を悪魔化しようとするヒッチンスの構想が読者に受け入れられるかどうか、というと疑問だ。個人を巨悪として叙述することは、問題の理解に役立つとは思えないからだ。ヒッチンスが起訴可能としてあげる事例は、キッシンジャー個人でやったのではなく、多くの人が関与した米国の政策である。政策決定過程でキッシンジャーが果たした役割と周囲の力学を注意深く見据えないと、キッシンジャー像を実物以上に巨大に見せるだけに終わるし、今の米外交政策とのつながりが分からなくなってしまうだろう。

本を置いて、日本の戦後史を形容する「密約」という言葉を思い出す。それらの密約に関わりながら口をぬぐっている小役人たちがまだ多くいる。「国のため」とうそぶきながら、黙っている人々に、実は本当のことを国民に話すことが「国のため」であることを納得させなければならないのだが、この国の世論とジャーナリズムはまだそこまで戦後政治に関わった有象無象の官僚、政治家たちの意識改革に成功していない。

卓越した戦略家で学者という評判のおかげで、キッシンジャーは対イラク軍事攻撃や北朝鮮対策などで今後もお座敷がかかることだろう。ロサンゼルス・タイムズ紙の定期コラム(日本では読売新聞が転載)は自称の現実主義者にはありがたがられている。しかし、米外交にニクソン・キッシンジャー時代というものがあるとしても、それはどの国でもあるアクの強い指導者と愚鈍な周囲、感覚の鈍い社会とメディアという実態の反映ではないのか、と疑ってみることも重要ではないだろうか。今となってはベトナムもチリも東ティモールも「時代だった」ということは簡単だ。議論がかみ合わない中で、大事なのはやはり事実の積み重ねだろう。        

(2001年AAN主査 川崎 剛)
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