バイオマスとはもともと生物学の用語だったが、いまはすべての動植物がつくりだす生物資源をさす言葉として一般に使われるようになった。そのバイオマスとはどんなもので、どんな可能性があるかについて、具体的な事例をあげて解説したのが本書だ。共同執筆者の2人は97年に「アマゾンの畑で採れるメルセデス・ベンツ」を書いており、今回はいわばその続編といえる。
執筆者の2人は2000年4月に「バイオマス産業社会ネットワーク」(BIN)を設立し、共同代表になっている。バイオマスをさまざまなエネルギー源や工業製品の素材として活用することで形成される社会を、2人はバイオマス産業社会と名づけた。そんな循環的社会の形成をめざして毎月1回、実際にバイオマスの有効活用に携わっている人を呼んで勉強会を開いてきた。その成果の一端が具体的事例として紹介されている。
ドイツや南アフリカでの現地取材に基づく事例紹介もおもしろい。前書の「アマゾンの畑で…」では、ココヤシの繊維から村人たちが自動車の内装品をつくる事業が紹介されていたが、本書ではダイムラー・クライスラー社が南アフリカで熱帯植物から自動車の内装品をつくる実例が紹介されている。つまり、アマゾンやアフリカの環境的価値や社会的価値を評価した自動車メーカーが、天然素材を工業製品として活用することで地域社会を維持し環境を保全する。そのことを、自社の車の商品差別化に利用し付加価値化してしまうビジネスモデルは抜け目がない。
余談だが、筆者のひとりである泊みゆきさんは、本書の題名を前書にならって「ジャガイモで走るメルセデス・ベンツ」か「生ごみで走るメルセデス・ベンツ」にしたかったそうだ。書名としては、その方が魅力的だったかもしれない。
それはともかく、一般的な解説書として充実しているが、バイオマスを活用する循環型社会の形成をユニークな視点から提言している点がこの本の魅力を高めている。ユニークな視点とは「生物資源には必ず原産地がある」という指摘である。
バイオマスは、太陽と水を原料とする植物の光合成の際、二酸化炭素(CO2)を吸収するから、バイオマスをエネルギー源として燃やしてCO2を排出したとしても、差し引きゼロで地球温暖化の要因にはならない。このことは多くの識者が指摘しているが、「バイオマス資源には原産地がある」ことに着目したことから、次のような提言につながる。
「地上のどこかで得られる太陽光と水を原料とするバイオマスには、必ず原産地がある。そこが石油などの枯渇資源との決定的な違いである。バイオマスは再生可能な資源であるが、それが再生可能であるためには、バイオマスの原産地が再生可能もしくは持続可能でなければならない」。さらに続く。「原産地が持続可能であるとは、バイオマスをつくりだす山林や田畑の土壌が保全され、地力や生物多様性が維持され、生態系が安定していることである」
高度に発展した先進諸国では、大量生産―大量消費―大量廃棄というこれまでの産業社会システムが行き詰まっている。バイオマスの炭素循環サイクルを可能な限り組み入れる循環型のバイオマス産業社会を展望するときがきているように思える。
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(編集委員 村田泰夫)