評者の中国の友人たちは、新たな最高指導者となった胡錦涛・共産党総書記に対する期待感を強めている。たとえば、就任後にまず示した姿勢は、農民やリストラ労働者など「恵まれない層を重視する」ことだった、中国の抱える問題点がよく分かっているじゃないか、というわけだ。
けれど、胡さんって、いったいどんな人か、ということは、中国国内の報道も含めてこれまでは必ずしも豊富ではなかった。この本には、まず胡錦涛氏の人となりがふんだんに盛り込まれている。たとえば、細かな話だが、1942年とされた胡さんの生まれ月は一体何月か、ということもほんの少し前まで一般にはあまり知られていなかった。それをさりげなく「1942年12月、胡錦涛は上海で生まれた。胡家の長男で、一人息子だった」と記す。さらに「胡家の族譜によると、胡錦涛の先祖は1600年前に安徽省績渓県龍川に根を下ろした」「1982年に胡錦涛は全国青年代表大会のとき、安徽代表に『私も安徽の人間だ』と話しかけた」「中国の首脳部にはなぜか安徽人が多い」など、 少しマニアックかもしれないが、中国理解のうえではおそらく有用なデータがちりばめられている。
胡錦涛氏といえば「チベット統治」の経験である。89年のラサ暴動を体験したチベット族の知人の話を聞いたことがあるが、あの暴動を胡氏が具体的にどう鎮圧したかということは、この本を通じて初めて知った。ひとことでいえば、こわもてで鎮圧したのだ。
「胡錦涛は党中央にラサの緊迫した状況と政策提案を報告した」「政策提案の中では軍の出動準備と出動命令の権限を(文民職の)自分に与えてくれるよう党中央に求めた」「3月8日零時、ラサ市に(胡錦涛が要請した)戒厳令が出された。とそのとき、胡錦涛が……自らも軍服姿になり、鉄のヘルメットをかぶって、戒厳部隊と共にラサの街頭に現れたのだ」「厳しい表情と鋭い目つきの胡錦涛は、本当の将軍のように勇ましい姿だった」
「その外見に似つかわしくない強い判断力と冷徹さを持つ胡錦涛だから、『自分が全責任をもって行う』という強固な意志を公に表せたのだろう」
「次世代の中心」と目され始めた98年、胡錦涛は解放軍のビジネス取り締まりも託された。一種の試金石でもあったのだろうが、それをこなしたことで、「江沢民後継」の座を揺るぎないものにした。その陰に、解放軍の大立者、張万年・党中央軍事委員会副首席(大将、当時)との「かねてからの交友」があったという。
「胡錦涛が82年から共産主義青年団書記を務めていたとき、部下に張慶黎という副部長がいた」「92年に胡錦涛が党中央指導者になるまで、10年間、胡錦涛と張とは(北京の宿舎で)隣同士だった」。この張慶黎氏が張万年大将(80年代は中将)の甥だった。
こうしたシブイ細部へのこだわりが、随所に伺える本だ。