極論を排して等身大・実証的に描く
評者・青木昌彦
(米スタンフォード大教授・経済産業研究所長)
日本人の中国社会経済像は過去10年大きく揺れ動いた。1990年代の前半には中国の市場経済への移行が疑問視され、ひいては30年代のような地域分裂を予測するものまで現れた。21世紀になると、一転「中国脅威論」が席巻するようになった。この2冊ではこうした極論と異なる等身大の中国経済像が、対照的なキャリアを持った2人の経済学者により描かれている。
今中国で、経済政策や理論で主導的役割を担っている人のおおくは、中高校時代に下放された僻地(へきち)で語学や数学を独習し、77年に再開された大学に入学したポスト文革世代である。その後アメリカに留学して近代経済学的な思考と分析の訓練を受けたものもおおい。
こういうめまぐるしい人生体験と時代背景をもつだけに、彼らに共通しているのは、持続的な経済成長の価値と中国の後進性の自覚、貧富格差への平等主義的配慮、データと論理にもとづく分析と歴史意識のバランスである。樊綱(ファンガン)はこの世代の代表格の一人で、今まで彼らの生の声に触れる機会の無かった読者には、本書は新鮮な読書機会となるだろう。
経済改革の過程は、「各利益集団が影響しあい、関係が発展、進化し、調整し合うという『ゲーム』の過程であり、単なる(政府による)戦略の実施ではない」と、中国共産党の正統的思想や厚生経済学とは異なる洞察が提示される。そして、国有企業の外における非国有経済の成長によって改革に対する旧勢力の抵抗が弱められたとか、ハイテクで蛙(かえる)跳びを試みるより、労働集約的な産業に依存するのが適正技術であるとか、近代化に必要な2・5億にものぼる農村人口の都市化にはあと20年は必要だ、などという現実的な判断が導かれる。
一方、後書は高度成長期の日本において国民所得統計の整備や成長と循環の分析をリードした老大家による著作である。著者は、中国経済の投資・輸出主導の成長は、香港が外国貿易においてかつての日本の商社のような仲介的役割を果たしたからだと示唆する。市場経済が未発達だと、契約の履行を保証する法や会計管理のシステム、倫理、商信用の蓄積が欠如し、それがまた市場経済の発展を妨げる。この悪循環を断ち切るには、代替的な取引ガバナンスの制度が必要だ。中国と外国市場のあいだの取引仲介地としての香港に発達したさまざまな制度的インフラは、そうした需要に応えるものだったろう。製造業は香港から広州へ移転しつつあるが、前者がよりサービス産業に特化しつつ、両者の一体化の進んでいることが実証される。印象論的な香港空洞化論に釘(くぎ)をさす著者の変わらぬ実証精神に敬意を表したい。
中国経済の理解を深める2冊である。
「中国 未完の経済改革」 樊綱著 関志雄(かんしゆう)訳、岩波書店・217ページ・2500円/ファン・ガン 53年生まれ。中国経済改革研究基金会国民経済研究所長。
「中国経済の巨大化と香港 そのダイナミズムの解明」 篠原三代平著 勁草書房・167ページ・2300円/しのはら・みよへい 19年生まれ。一橋大・東京国際大名誉教授。