日本で語られるユダヤ人論の多くは、日本人論の鏡像である。島国のなかで自らの共同体性に疑念を抱かぬ日本人と、流浪のなかで意思をもって共同体を構築してきたユダヤ人、という差異の強調は、常に日本人がユダヤ人問題を「他人事(ひとごと)」として認識してきたことを意味する。日本がユダヤ人社会と直接対峙(たいじ)する接点が少なく、西欧を通じて間接的に触れるしかなかったからであろう。
だが本当にそうだったのだろうか。本書が扱うのは、第2次大戦前夜の日本軍の、上海のユダヤ人社会に対する積極的なかかわりである。著者はイスラエル政治を中心とする中東専門家だが、本書は日本現代史の重要な一面を焙(あぶ)り出す。
上海には、19世紀半ばからイラク系ユダヤ人財閥を中心にコミュニティーが確立されていった。西欧でのシオニズムの興隆、ロシア、東欧でのユダヤ人迫害の結果、20世紀前半にはロシア、東欧起源のユダヤ人の東アジア流入が増加し、ナチス・ドイツ下での大虐殺で大量の難民が中国に流れ込んだ。終戦当時、上海のユダヤ人は2万人を超えていた。
本書は、開戦前夜、日本軍や財界が、当時の対英米関係の改善を目的として中国のユダヤ人社会に接近していった過程を追う。ユダヤ人の存在を対米勧誘と資金利用の文脈で考える発想は、第1次大戦時の大英帝国がイスラエル建国を約束した発想と同じであり、戦前の日本が当時の西欧列強と共有された枠組みでユダヤ人問題を扱っていたことを意味する。対独同盟が成立し英米が敵国となると、日本軍は政策を一転させて、ユダヤ人を指定地域に隔離した。
大戦後、新天地を求めてイスラエルに移住を希求する難民と、長年上海に住み着いたユダヤ人商人が中国残留を望みながら国共内戦の過程で同じく上海を追われることになる結果は、ユダヤ人問題の根幹を浮かび上がらせる。ユダヤ人問題といえば「中東での数千年来の宗教対立」という誤解が蔓延(まんえん)しているが、ユダヤ人が世界史のあちこちではじき出されてきた過程に、東アジアも無縁ではない。