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スーダン南部ジュバ…日本の支援

2008年4月15日

  • 編集委員・竹内幸史

写真写真ウガンダにつながるジュバ南部のほこりだらけの道写真家を建てるための材木やタケを売る店写真ラーニャ郡の農村にJENが造った井戸写真JENがトイレ建設などの支援をする学校の教室写真ジュバにJVCが開いた職業訓練施設写真ジュバのナイル河岸にJICAが造った桟橋

 スーダン西部のダルフールが赤い砂漠の大地なのに対し、ナイル川の上流にあるスーダン南部は赤土の中に草原が広がるサバンナ地帯だ。それでも乾期の昨年12月中旬に南部の拠点都市ジュバを訪れると、空気は乾燥し、ほこりだらけだった。空港の外にあるゴミ箱を見ると、無数のミツバチがわずかな水分を求め、ジュースの空き缶にブンブン群がっていた。

 街の中心部では未舗装の赤土の道路を、国連やNGOの四輪駆動車が土煙をあげて行き交う。市場では、ペットボトルに入れたガソリンや袋詰めの木炭が売られている。大繁盛しているのは、家を建て直すための材木や竹、屋根を葺くカヤを売る店だ。壁も土造りの家が多いダルフールに比べ、南部では竹材を器用に編み、組み合わせて家の壁を築く。

 ジュバは、3年前に和平合意が実現するまで南北内戦の戦場だった。北部のイスラム教徒中心の政府と、キリスト教徒が多い南部の間で22年も続いた内戦が2005年に終結した。そこに今、復興の槌音が響き渡っているのだ。

 ジュバ周辺には06年以降、日本のNGO7団体が相次いで進出し、復興援助を展開している。

 アフガニスタンなど世界の紛争地で緊急人道援助を手がけてきたJEN(本部・東京)は2007年4月、ジュバに開設した事務所に日本人職員2人を派遣。ジュバ近郊のラーニャ郡、テレケタ郡の農村に68ある学校を訪問し、農民や子供を相手に衛生教育を実施している。さらに学校内に井戸掘りやトイレ建設などの支援を進めている。

 スーダン南部は、ヴィクトリア湖から流れるナイル川の上流域。ダルフールに比べ、水に恵まれてはいるが、安全な飲み水は不足している。貧しい農民は川の水をそのまま飲み、コレラや腸チフスなどの感染症にかかる例が後を絶たない。コレラは年に約2万人が発症し、300人近い死者が出ている。下痢症に苦しむ人も多い。マラリアの常襲地帯でもある。

 内戦中にウガンダやケニアなどのキャンプに逃れた難民は、和平の実現後、スーダン南部の農村に帰還しつつある。しかし、せっかく帰郷しても、村の衛生環境が悪ければ、復興も定住も進まない。このため、井戸掘りで飲み水を確保しながら、同時に衛生教育を進め、ハード、ソフト両面で水問題と感染症の対策を講じる…それが、JENの活動だ。

 衛生教育では、人形劇や合唱も交え、「川の水はそのまま飲んではいけない」「水は煮沸して飲もう」「食べる前に手を洗おう」など基礎的な内容を教えている。指導するのは、JENが雇った「衛生プロモーター」の元難民ら12人だ。

 そのひとり、ガブリエルさん(27)は、ジュバから80キロ離れた農村に生まれ、幼くしてウガンダの難民キャンプに逃れた。村長だった父は南部勢力を支援していたが、内戦が激化した1994年、政府軍に連行され、刑務所で死んだ。

 「和平合意を伝えるBBCのニュースを難民キャンプのラジオで聞いた時のことは忘れられない。喜び勇んで友達と一緒にバスに飛び乗り、ジュバに戻ったんだ」。しばらく国際赤十字の事務所で働いた後、JENの募集に応募したという。

 今は衛生教育の先頭に立つガブリエルさんは「教えているのは平和な村では誰もが知っている当たり前なことばかり。しかし、内戦で基礎的な教育さえ壊れてしまった」と話した。

 JENは、井戸掘りは07年に5カ所、08年にはさらに10カ所で進める計画。だが、地下水層は年々深くなっており、100メートル前後まで掘る必要がある。その作業ができる業者も掘削機もスーダンにないため、ケニアの業者に依頼しており、工費は一件1万2000〜1万8000ドル。学校にはトイレ建設支援をしているが、これも一件あたり5000ドルもかかる。「セメントはもちろん、建設用の石や砂利さえ現地で入手しにくいので高くつく。多くの資材はウガンダやケニアからの輸入品です」と、JENの駐在員はこぼしていた。

 一方、ジュバの中心街で古い自動車整備工場を拠点に職業訓練所を開いたのは、日本国際ボランティアセンター(JVC、本部・東京)だ。06年の開設時には、内戦時代のさびた弾丸がごろごろ出てきた。今も壊れた車の残骸が何台も残っている。

 JVCはカンボジア復興での経験を生かし、最長2年程度の研修コースを組み、日本人を含め整備士5人が教えている。研修生15人は内戦中に故郷を失った元難民たち。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)からの資金支援に加え、月40台ほどの整備収入を財源に訓練手当も支給し、「技術と自立心が身につくように教えている」(今井高樹スーダン所長)という。

 ジュバをスーダン南部復興の核と位置づけて支援することは、「長期的にはスーダンを襲う砂漠化など環境悪化を食い止めることにもつながる」(熊岡路矢JVC理事)という。

 こうしたNGOの支援を知る世界食糧計画(WFP)の忍足謙朗スーダン局長は「南部での支援はありがたい。日本のNGOはボランティア意識が抜けず、プロ集団とは言えない組織もあったが、だんだん力をつけてきた」と話していた。

 一方、政府機関の日本国際協力機構(JICA)は、ジュバのナイル川河畔に桟橋を建設し、南部での物流強化に貢献している。

 ジュバなどスーダン南部では、内戦で北部との間の道路の橋が破壊、寸断され、トラックも思うように行き来できない。WFPの南部への食料輸送は、ウガンダやケニアからの陸上輸送のほか、北部からの河川交通に頼っているが、北部のクスティからジュバまでは1500km以上あり、船で3週間かかるという。JICAは桟橋は応急措置のパイロット事業と位置づけており、「物流の改善で人々に平和の配当を意識してもらいながら、次の本格支援を見極めたい」という。また、JICAは人材育成の職業訓練にも乗り出している。

 こうしたNGOやJICAによる人手をかけた支援は、今のところ、ほとんどスーダン南部に集中している。和平実現後も南北間の対立はくすぶり、南部復興のペースも遅れ気味だ。それでも治安は比較的良いため、日本の外務省は「南部への重点支援」を掲げ、NGOもそれに従っている。

 05年の南北和平以降、日本はスーダンへの資金支援を増やし、過去3年で約2億ドルに上る。このうち南部とダルフールにほぼ半分ずつ配分してきたが、ダルフールにはWFPやUNHCRなど国連機関を通じた資金と救援物資ばかりだ。確かに南部支援にも大きな意味があるし、ダルフールの治安情勢は予断を許せない。だが、日本が南部で進めているような難民や復興支援をダルフールでも進めてよい時期がいずれ来る。そのタイミングを見極めるためにも、ダルフールについて確かな現地情報の収集が必要だ。

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