2008年3月21日
アンゴラ側帰還民と
ザンビア側の難民定住地
難民帰還の開始
アフリカ南部のザンビアとアンゴラで支援活動をしていた時、調味料は塩しかないのに、素材と調理法にこだわる現地の同僚に驚いたことがあった。
アンゴラの内戦が終結し、隣国ザンビアへ避難していた難民が祖国へ帰還し始めた時の話だ。私は、ザンビアの難民定住地で支援活動をしていた。ある日、アンゴラ人メカニックと、ザンビア人運転手を伴ってアンゴラ東部の国境の村カゾンボへ調査に出かけた。四輪駆動車に水、食糧、燃料を積んで2日がかりで、国境を越えた先の村は、内戦の被害を受け、復興を開始したばかり。修復途中の教会の庭で一夜を明かし、翌日から調査を開始した。
朝の作戦会議はまず、食事の話から始まった。
私「昼は持ってきたパンで済ませるとして、夕飯はどうしようか?」
メカニック「ザンビアから持ってきた干し魚にしよう」
私「よし、決まり。次に調査の話をしようか・・」
運転手「まてまて、調理に半日かかるから、誰かに火の番をたのまないと」
私「えっ?簡単な保存食のつもりで、持ってきたのに・・」
干し魚はザンビアの川でとれた魚を開いて乾燥したもので、ザンビア西部でよく見かける。水に浸けても、柔らかくならない。日本の干物のつもりで、焼いて食べたことがあったが、硬くて味がしなかったのを思い出した。運転手がベストだという料理法は、お湯につけてとろ火で煮込みながら、少しずつ油を足す。炭火で半日続けると、水と油が混ざったクリーミーなソースの中で、カラカラだった魚がほどよく膨らみ、脂がのったように仕上がる。運転手が「これが一番旨い食べ方」と言うこだわりの逸品は確かに美味しかった。
魚といっしょに食べるのが、主食のシマ。メイズの粉から作られる。日本人がコメにこだわるように、シマへのこだわりは、また格別だ。地域、民族によって、ウガリ、サザ、シマ、ブホベ、フンジなどなど、様々な呼び名があるが、いずれも、メイズやキャッサバの粉を湯に入れ、火にかけて、餅のようになるまで練ったものだ。メイズが多いほど、パサパサ感があり、キャッサバ粉の割合を増やすと滑らかになる。アンゴラの西海岸までいくと、フンジと呼ばれ、キャッサバ粉が主原料のため、べたべたしている。そのため、メイズの多いザンビアのシマは手にくっつかないが、アンゴラのフンジは手で食べるとくっついて火傷する。実際、フンジはフォークとナイフで食べる。日本人には最初、お腹に重いが、ザンビアに住み始めて半年も経つと、旨いシマのお店を探すようになった。食べ方が重要で、口に入れた時の食感を左右する。できたて、アツアツのシマをちぎって掌と指先で軽く揉む。こうすることで、表面の乾いたパサパサがなくなり、モッチリした固まりになる。これを、トマト汁につけて、野菜や肉、魚といっしょに手で食べる。村のシマは、畑で栽培したメイズを挽いた全粒粉なので、茶色く、ざらしているが、市販の純白の粉で作ったシマは実に滑らかで旨い。
アンゴラ難民の同僚が、難民定住地にいたころ、貴重な現金で購入したキャッサバ粉をメイズ粉に混ぜて、「これで滑らかになるんだ」と、嬉しそうに練っていたのを思い出す。アンゴラに帰還したその同僚は、ダイヤモンド採掘会社に就職したと聞くが、もう少しキャッサバの多い滑らかなシマを食べていることだろう。