2008年5月29日
単なる思い込みだろうが、それでもアフリカの夕日は大きいと思う。広い大地に沈んでいく夕日はダイナミックで、雲と空が夕暮れのグラデーションに染まるその美しさにはことばも出ない・・・などと悠長なことを考えている暇は無かったのに、何となく楽天的にさせてくれるのはこの土地の開放感か。
そこは、ジンバブエの首都ハラレから北東に数百キロ行ったムトコ地方にある小さな村だ。幹線道路を外れた「ダストロード」(未舗装道路)も、先へ行くほどに細く荒くなる。岩がごつごつと盛り上がった田舎道を行くのは、大きく頑丈な四輪駆動車ではなく10万キロ走った私の中古カローラだ。昼間のんびりしすぎたため、時間はもう午後六時半。すでに日が落ち、周囲の岩山が藍色に染まっている。
週末に、ハラレのオフィスの同僚であるジンバブエ人とその夫人の実家に連れて行ってもらうためとはいえ、無謀にも初めて挑戦したダストロードの運転。どこまで続いているのかが見えない大きな一枚岩の急斜面を横切ったり、直径数メーターの大穴を避けたりとかなりの難易度である。
周囲が真っ暗になり、車のライトが照らす範囲意外ほとんど何も見えなくなったころに、同僚が突然、「ここで右折して」と言う。でも、道が無いよ?と訊くも、夫妻は平然としている。暗闇に木立が茂り、あきらかに道などなく岩がごろごろしている。それでも、ハンドルを切り木立を縫うように慎重に数百メーターばかり進んでいくと、果たしてそこには灯りがあった。夫人の実家であった。
ジンバブエは、ローデシア時代から都市部のインフラが比較的整っているとはいえ、やはりここまで田舎に来ると電気も水道もない。それでも、小さなランプと伝統的な円柱形の家の真ん中に据えられたかまどの炎が明るく人々の顔を照らし、日が暮れてから突然訪れた客人を迎えようとする親族の温かさに心がほぐれる。すぐにヒヨコ豆のシチューやムリオ(硬いホウレンソウのような野菜)料理や大量のサザが振舞われ、チブクと呼ばれる南部アフリカ地域で広く飲まれている濁酒のようなビール(モロコシを醗酵させて作る)を男性たちが酌み交わす。客人と男性が先に食事をし、女性と子どもがその残ったもので食事を済ませる。楽しい夜を過ごしたあと、離れの小屋に用意してもらった寝床で眠った。ほんとうに濃い闇が満ちる田舎の夜だ。
アフリカの朝は早く、女性たちは働き者だ。敷地内を綺麗に掃き清め、客人たちのために鶏をつぶして豪勢な料理を作る。男性たちは、朝から酒を呑んでいる。1キロ先には公共の井戸があり、そこから水を汲んでくるのは子どもたちの仕事だ。汲んできた水を贅沢にも湯にしてもらい、私は簡単なついたてがあるだけの「バスルーム」で、それを手で大切にすくって身体を洗った。このバケツ1杯の湯を、家族みんなで分け合うのだ。普段自分が、どれだけの湯を無駄に使っているのかが身に沁みてわかる。青空トイレや青空シャワーは、大切なことを思い出させてくれる。
この地域は気候も良く降雨量も多いので、土地は豊かだ。彼らの畑には様々な野菜が栽培され、果物も育てられている。そのおかげで、ほとんどお金を使わなくても生活できてしまうのだという。ハラレで働く同僚は、都会の暮らしにくさと経済状況の悪化を嘆く。将来的には引退したらこの村に戻って暮らしたいのだと教えてくれた。朝、畑に向かう道端で採った果物はほんとうに美味しく、野菜は信じられないくらい甘い味がした。
ジンバブエの経済は崩壊し、インフレ率は年率10万パーセントにまで到達して都市部の生活は困窮している。抜けるようにまぶしい青空と美しい風景の中で流れるゆっくりとした時間は、そんなことを忘れてしまう。これほど豊かな国で、どうして人間は経済を破綻させてしまったのだろう。お土産にもらった大量のタマネギやバターナッツを食べながら、そういうことを考えた。