08年11月号
チャールズ・A・クプチャン/ジョージタウン大学教授
■連盟支持派の立場
世界の民主国家のためだけのフォーラムを形成しようとする構想が出されたのは、何も今回が初めてではない。2000年にクリントン政権は世界の民主主義を支援するという目的から民主国家コミュニティを立ち上げている。多数の作業グループが組織され、閣僚級会議が4度開かれたが、このフォーラムはたんなる討論クラブのままに終わり、具体的な成果をほとんど残せていない。その原因の一つは、120を超える参加国のなかにエジプト、ヨルダン、カタールなど、民主国家という称号に値しない国が含まれていたからだ。民主国家連盟構想の支持者たちは、民主国家コミュニティがみるべき成果を挙げられなかったことを踏まえて、メンバーシップの基準をもっと厳格にし、より野心的な目標を設定することを求めている。
共和党は、このフォーラムを「連盟」と呼ぶことを好み、一方の民主党は民主国家間の「協調」と呼んでいる。しかし、両党の支持派の、このフォーラムに関する概念のとらえ方はほとんど変わらない。
フォーラムへの参加国は、安全保障上の脅威に対抗し、民主主義と人権の擁護・促進をはかり、経済統合を促進することを文書を通じて公的にコミットする。共通の軍事ドクトリンを定め、防衛、警察・情報機関の協力関係も強化する。民主国家連盟の事務局を設置し、意思決定に関する明確なルールも定める。連盟への参加資格は「複数政党制の下での自由選挙を定期的に実施し、市民の政治的権利、市民権を保証している民主国家に限定する」。政治家学者のアイボ・ダールダーとジェームズ・リンゼーは、「アメリカン・インタレスト誌」で発表した論文で、こうした基準を満たす国は世界におよそ60カ国あると指摘している。
民主国家連盟の支持派は、「そうしたフォーラムなら、(国連安保理で)権威主義国家の『拒絶主義』に行く手を阻まれることもなくなり、既存の国際機関よりも効果的にグローバルな課題に対処していけるようになる」と主張している。国家規模の大きな民主国家の上位20カ国の軍事予算の合計は、世界の総軍事予算の4分の3に達すると指摘するダールダーとリンゼーは、権威主義国家がいないフォーラムなら、「意を同じくする小規模の国家グループが迅速かつ効果的に行動を起こせるようになる」と言う。さらに、民主国家連盟なら、国連のように主権の不可侵性(内政不干渉原則)を重視するあまり、身動きがとれなくなることもなくなり、他国に切実な安全保障上の脅威を与えている国、自国民の権利や安全を保証できない国に介入することができる、と考えられている。
民主党は「国連を改革する手段として」民主国家連盟を位置づけ、「民主国家連盟が国連に取って代わるとすれば、国連が改革に失敗した場合だけだ」と考えている。これに対して共和党は、民主国家連盟のことを、「とかく扱いにくい権威主義国家によって機能不全に追い込まれ、もはや救いようがない状態にある国連を傍流へと追いやる手段」とみなしている。とはいえ、頑迷で非自由主義的な国家に対して世界の民主国家は決然と立ち上がるべきだと考えている点では、超党派のコンセンサスがある。
民主国家連盟があれば、世界の民主国家は行動の自由を手にするだけでなく、民主国家間の絆をさらに深めることができる。「国家安全保障に関するプリンストン・プロジェクト」の共同議長を務めたG・ジョン・アイケンベリーとアン=マリー・スローターは、民主国家連盟があれば、「世界のリベラルな民主国家間の安全保障面での協調を強化できる」と述べている(日本語版2007年1月号「第2の『X論文』を求めて」)。国連(安保理)における膠着状態を不作為の口実とはできなくなるために、メンバーがフリーライドをすることもなくなる。ダールダーとリンゼーは「民主国家連盟なら、中国とロシアの頑迷な反対を理由に民主国家が責任を回避することもできなくなる」と言う。
より一般的には、各国の代議政府の集団的な意思を反映できる民主国家連盟は、国際システムの道徳的基盤を強化できると考えられている。フーバー研究所のトッド・リンドバーグは「国際的正統性の源は、(国内で正統性を持っているかどうか疑問がある権威主義国家がメンバーとして参加する)国連安保理の全会一致による決議ではなく、国内的正統性を持つ(民主)国家の合意に宿る」と言う。「特定の決議に中国が同意したからといって、決議の国際的正統性が高まるわけではなく、逆に、それを失墜させてしまう」とさえリンドバーグは指摘する。
世界の民主主義空間を拡大していく上でも、民主国家連盟は有意義な手段になると支持派はみている。ダールダーとリンゼーによれば、「民主国家連盟の存在そのものが、自由な選挙を実施し、個人の権利を保証し、法の支配を支えていくインセンティブを各国に与えることになる」。北大西洋条約機構(NATO)と欧州連合(EU)に加盟したいという願いが、ポスト共産主義のヨーロッパで大きな民主化の流れを作りだしたように、民主国家同盟のメンバーシップが持つ魅力が、非自由主義的な世界の民主化を刺激する、と。すべてが計画通りにいけば、カントの言う「恒久平和」に向けた基盤が築かれることになると支持派は考えている。
■連盟構想の問題点
こうした力強い議論が聞かれるとはいえ、民主国家連盟を形成するという構想は、現実には詳細な検証に耐えるようなものではない。もっとも重要なのは、権威主義国家の国際政治面での発言を認めないグローバル・フォーラムが、もっとも切実に必要とされている民主国家と非民主国家間の協調の可能性を摘み取り、すでに信頼できるパートナーである民主国家間の協調を少しばかり深めるだけだという点にある。別の言い方をすれば、もっとも協調が必要とされる関係を犠牲にして、協調関係がすでに成立している関係を強化しようとしているにすぎない。
NATO、EU、日米安全保障条約など、長年におよぶ重層的なネットワークのなかで協調することで、世界の民主国家の多くはすでに相手国を信頼できるパートナーとみなしている。だが、こうしたネットワーク内の協調で培われた絆が、民主国家連盟という概念を魅力的なものにすると同時に、それを不必要にしていることに目を向けるべきだ。すでに緊密な同盟国との協調をわずかばかり強化するだけの民主国家連盟構想を、米外交の中枢に据える価値はない。むしろ、アメリカと世界の民主国家は、中国やロシアなどの台頭する権威主義国家、湾岸の産油国との協調関係の形成に努めていく必要がある。
民主国家間のチームワークだけでは、今日の課題にうまく対処できない。イランと北朝鮮の核開発プログラムを止めさせ、テロと戦い、地球温暖化の脅威を緩和し、エネルギー供給をうまく管理し、東アジア、ペルシャ湾岸で地域安全保障秩序を構築していくには、非自由主義的な諸国との協力が必要になる。民主国家の連帯をさらに強化するよりも、民主国家、非民主国家の目を共有基盤へと向けさせ、協調という習慣を植え付けていくほうがはるかに重要だ。
民主国家連盟構想の支持派は、民主国家間の協調を促進しても、権威主義国家との関係が必ずしも犠牲にされるわけではないと反論するかもしれない。理屈で言えば、中国、ロシア、その他の権威主義国家もその国益に配慮すれば、民主国家連盟(あるいはその加盟国)と協調せざるを得ないはずで、一方、民主国家も国益の観点から権威主義国家と協調するようになるはずだ。
実際、ジョン・マケインは「われわれの国益からみて、中国やロシアと経済的、戦略的な協調関係を模索しなければならないし、中東におけるピースメーカーとしてのエジプトやサウジアラビアの役割を支援し、タリバーンやアルカイダと戦うためなら、パキスタンとも協力しなければならない」と述べている。だがこの発言は「民主国家連盟は他の多国間、二国間の協調枠組みに取って代わるものではなく、それを補完するものだ」としたダールダーとリンゼーの指摘同様に、「保険」策の類だ。
新しいフォーラムは国際協調の大義を大きく強化することになると主張し、一方で、そのネガティブな副作用は最低限にとどまると言い張るのは矛盾している。二つを同時には手にできない。
民主国家連盟は、クリントン政権の民主国家コミュニティのようなたんなるサロンに終わるのか。それとも、構想支持派の高い期待を満たすような存在になり、国政政治に民主国家の聖域をつくり、そこから権威主義国家を締め出すことで、結局は、ロシアや中国が独自の道を歩むことを促してしまうのか。
民主国家同盟をつくれば、ロシアはどう動くだろうか。NATOの拡大やセルビアからのコソボ独立に対してロシアが示した威圧的な反応、2008年夏に起きたグルジアへの強権的介入、中国とともに上海協力機構を組織したことから考えれば、およその予測はつく。
かたやロバート・ケーガンは「『独裁者連盟』がすでに形づくられつつある」と指摘し、だからこそ、「民主国家は団結すべきだ」と提言している。ケーガンの懸念は時期尚早だが、その懸念を実現させるためのもっとも確実な方法が、民主国家連盟を組織することだ。そうすれば、権威主義国家を直ちに対抗バランスの形成へと駆り立てる。
〈フォーリン・アフェアーズ日本語版2008年11月号〉
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