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民族と腐敗で引き裂かれた国家 ―― ケニアの国家統合への長い道のり

2010年9月10日発売号

    ジョン・ジソンゴ/元ケニア政府統治・道徳(反政治腐敗)担当事務次官

    ■暴動の果ての連立政権

     2007年末の大統領選挙の混迷に端を発するケニアの暴動と殺戮は、世界に大きな衝撃を与えた。とかく問題の多いこの地域にあって、かつては平和と安定のオアシスとみなされてきたケニアが、突如、無秩序と激しい暴力に包み込まれてしまったからだ(訳注 2007年のケニアの大統領選挙で、選挙委員会は現職のムワイ・キバキの勝利を宣言したが、対立候補だったライラ・オディンガの支持者たちが選挙結果に対する抗議行動を展開し、これが次第に「ルオ族その他」と「キクユ族」を対立構図とする全国レベルの部族対立に発展し、政治危機、そして国家的な危機へとエスカレートしていった)。

     欧米の多くの人々にとって、イギリス文化を身につけた都市住民、近代的な都市、適度に整備されたインフラを持つケニアは、アフリカの前向きな部分を象徴する存在だった。

     「ケニアは(他のアフリカ諸国とは)どこか違う」。息を呑むほどに美しいこの国の自然、そしてケニアが輩出する世界トップクラスのスポーツ選手たちが他の地域の人々に与えるイメージも、この認識を支えてきた。

     特にケニアの中産階級は、「自分たちは違う」という意識を強く持っている。自負心が強いだけに、この国の中産階級の人々は、近隣諸国からの訪問者がケニアの政治的混迷に同情を示すと、逆に怒りを露わにする。これまでは、他のアフリカ諸国が困難な現実に直面するのをみて、ケニアはつねに同情する側だった。だが、かねてケニアが難民を受け入れてきた近隣諸国でさえも、いまではケニアに同情している。この現実に、ケニアの人々は大いに困惑している。

     だが、「ケニアはどこか違う」とみなす例外論は多くの意味で、いつ崩れてもおかしくない神話にすぎなかった。

     2008年初頭、ウガンダ人の作家で評論家のカルンディ・セルマガは、「まともでない状態さえも日常として受け入れる」ケニア人の中産階級の姿勢をテーマに文章をまとめている。だが、不可解なのは「尋常でない状態を平常として受け入れる時代が終わるのに非常に長い時間がかかったこと」だろう。

     今回、暴動が起きた背景には多くの理由があった。ケニアでは大統領から一介の役人までのすべてが政治腐敗にまみれ、世界的にみても、もっとも大きな経済格差が生じていた。しかも、腐敗した支配層エリートは民族ラインに沿って分裂し、人口構成はいびつなまでに若年層に偏っていた。怒りで煮えたぎっていた大釜が2007年に吹きこぼれ、暴動として具体化したというのが真実に近い。大統領選挙の失敗がきっかけとなって、いずれ表面化するのが避けられなかった問題が表に引きずり出されたにすぎない。

     すでに長い間、ケニア人の多くは疎外感を抱いていた。特に、他から切り離されていると強く感じていたケニアの若者にとって、選挙後の暴動はかつて経験したことのない極めて大きな力を得る機会となった。国中で暴動を起こした若者たちが、自分たちの行動を後悔していないのは、その結果、力を得たと感じているからだろう。

     暴動が沈静化する2008年2月までに、死者は数千人に達し、30万人以上が国内避難民として家を後にせざるを得ない状況に追い込まれた。以来、この国のもっともコスモポリタン的な都市で暮らしていたさまざまな人々が、自分の民族が多数派の地域に移り住もうと、移動し始めている。こうした都市部からの人口流出は、人々の生活を守るという点での政府への信頼が無残なまでに失われていることの何よりの証拠だろう。

     大統領選挙後の政治危機は、2月28日にそれまで対立していた二つの政党の指導者が、交渉を通じて一つの内閣を組織することで、ようやく決着した。問題含みの選挙で勝者とされた現職のムワイ・キバキが大統領ポストに踏みとどまり、対立していた政党のリーダー、ライラ・オディンガが首相に就任した。

     選挙が社会暴力を誘発し、この事態を前に対話による連立政権が組織されるという流れが生じるのはケニアが初めてではなく、ジンバブエという先例がある。マダガスカルでも同様のことが起きている。

     さまざまな勢力を取り込むことができる呉越同舟の連立政権モデルを、アフリカの民主主義の新しいモデルとして評価する政治家や研究者もいる。

     しかし、呉越同舟モデルなど存在するはずはない。こうした流れのなかで組織される連立政権は、民主主義が機能した結果ではない。それが失敗した結果にすぎない。実際、対立している人々を一つの屋根の下に集めるという政治的試みは、政策決定を麻痺させ、「いまの政府は自分たちの選んだ政府ではない」と、有権者の怒りを買うことになった。ケニアはまさにその典型的なケースだ。

        ◇

    John Githongo ジャーナリストを経て、2003年から、国外追放処分とされる2005年まで、ケニア政府の(反政治腐敗対策を担当する)統治・道徳担当事務次官を務めた。2008年にケニアに帰国。グローバル市民としてのケニア人のアイデンティティを重視する市民団体イヌカ・ケニア・トラストの会長で、非政府組織トワエザの責任者。

     <フォーリン・アフェアーズ・リポート2010年9月号掲載>

    (C) Copyright 2010 by the Council on Foreign Relations, Inc., and Foreign Affairs, Japan

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