イタリア映画祭2010

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メッセージ

2010年、イタリア映画の歴史と絆をめぐる旅

文・岡本太郎

2001年、イタリア映画祭の旅が始まった。

あれから十年となるとさすがに驚きが結晶化してしまいそうだが、それは何よりも21世紀初頭のイタリア映画の目醒ましい再生の証しで、こうしてぼくらは2010年も、今ではひどく稀少な、高純度の独創性が行き交う映像世界で心震わせられる。
たとえば半世紀前、未来と宇宙への夢と願望であふれていた一地球人女子の青春の入口の生き生きとした情景を郷愁と共感とアイロニーで綴り、初々しい現代が芽吹いていた当時の豊かな記憶を甦らせてくれるニッキャレッリの快作「コズモナウタ−宇宙飛行士」。ムッソリーニの愛人という実在を手がかりに人間性の本質の一つ―混沌を孕み、音楽や詩すら奏でる強靭なパトスを浮かび上がらせるベロッキオの凄絶な傑作「勝利を」。エミリア・ロマーニャの山村で起きた第二次大戦中の悲劇を歴史的ないし劇的観点からではなく、そこに生きる村人たちの日々の営みの表情や風の匂いや自然の色合いの中から静かに、つぶさに見せ、深く重い余韻を残すディリッティの「やがて来たる者」

そうした世界観に胸打たれる三作品があれば、生と死のあわいで揺らぐ心の動きを繊細に、鮮やかに表す三つの名品がある。生まれてくる命の儚さと愛おしさに人と人との絆の優しさを交え、明るくやわらかく軽やかに澄んだ映像で描くコメンチーニの「まっさらな光のもとで」。失われた父と子の絆の痕跡を追い、予期せぬ試練に無謀に立ち向かって、観る者にも思いがけない奇妙なカタルシスに辿りつく男の心の旅を映し出すアンジェリーニの「頭を上げて」。いつしか折れた心で現実を受けとめられないまま父親となった若く優秀な皮膚科医が、ふたたび愛を通じてその閉ざされた心を開き、父性と出会うルチーニの「ただ、ひとりの父親」

あるいは、才人フェラーリオが闊達なショットと絶妙な音楽センスと台詞回しに乗せて、またもやアクロバティックで軽妙にドキュメンタリスティックで切ない独自の世界を繰り広げる「それもこれもユダのせい」、アルキブージがコミカルに、運命的に存在の根幹を揺るがす二つの心(臓)の話を物語る「ハートの問題」、不可能とも思える愛のナイーヴな軌跡を描く達人、ピッチョーニがメランコリックな叙情をこめて紡ぐ「ジュリアは夕べに出かけない」が、それぞれの筆致で映画の魅惑に誘う。さらに、スタイリッシュな映像と巧妙なサスペンス仕掛けの心理劇で映画人を唸らせたカポトンディの長篇第一作「重なりあう時」、TVで培ったセンスをスクリーンで縦横無尽に展開するラブコメディーメイカー、ブリッツィ渾身の「元カノ/カレ」、そしてイタリア映画界で不動の地位を築くアヴァーティの「バール・マルゲリータに集う仲間たち」を加えた12本が、第10回映画祭の旅の航路となっている。