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おくりびと 脚本に始まる

2010年5月26日14時23分

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写真中沢敏明さん

写真青木新門さん

写真小山薫堂さん

 すべては脚本に始まる。

 映画プロデューサーの中沢敏明(なかざわ・としあき)(63)はそう考えている。「良い脚本があれば良い俳優、良い監督がやってくれる」

 中沢が手がけた映画に「おくりびと」がある。本木雅弘(もとき・まさひろ)(44)主演で2008年に公開された。死者を棺(ひつぎ)に納めて送り出す仕事に就いた主人公が、周囲の偏見に悩みながらも、命の不思議、人の絆(きずな)に目を開かれていく。

 この作品も、脚本づくりに始まった。

 きっかけは青木新門(あおき・しんもん)(73)が1993年に出版した「納棺夫日記」だった。05年、この本を映画にしたいと本木の所属事務所が中沢に持ち込んでくる。

 一読、中沢は知られざる世界に引き込まれた。だが映画にするには話が重い。脚本だ、これを娯楽性豊かな脚本にできれば――。中沢が目をつけたのが、小山薫堂(こやま・くんどう)(45)である。

 小山はテレビ番組「料理の鉄人」で知られた放送作家で、映画の経験はない。著書を何冊も読んでいた中沢の勘だった。

 頼まれた小山は、青木の本を読んでみた。面白い、でも映画には向かないだろう。死を扱って伊丹十三(いたみ・じゅうぞう)監督の「お葬式」を超えるのも難しい。正直そう思った小山は、一度は断った。

 中沢は粘る。口説き落とし、一緒に取材旅行にも出かけた。そうして小山が書き上げた脚本に、中沢は舌を巻いた。

 ところが、青木は否定する。

    ◇

 中沢は青木を富山の自宅に訪ねた。青木は「着地点が違う」と譲らない。

 「遺体をきれいにして死者を送るだけで満足してしまっている。そうではないんです」

 青木は著書で、納棺の仕事を通して生と死を見つめ、親鸞(しんらん)や宮沢賢治(みやざわ・けんじ)を行き来して考えを深めていく。その青木にすれば、脚本はどうにも浅く映った。

 映画化はつぶれかけた。だが中沢はあきらめない。再び小山に頼んだ。「『納棺夫日記』と重ならないよう、独自の部分だけで書き直せないか」

 もともと小山の脚本には取材で得た挿話があった。火葬場で職員が「ここはだれもが通過する門だね」と語るのを耳にし、亡くなった祖母に孫がルーズソックスをはかせてあげる話を納棺師の一人から聞いていた。

 しかも小山には自作の小説があった。音信不通だった父の死を知り、父の過ごした地を訪ねる物語で、これを土台に敷いていた。その脚本に、小山はさらに独自の色を与え、タイトルも「おくりびと」に変えた。

 それなら、と青木も最後は折れた。「ただし私の名前は映画から外して下さい」。青木にはもう一つのこだわりがあった。

    ◇

 青木は俳優の本木と長く親交を温めてきた。「納棺夫日記」を読んだ本木が連絡してきたのは20代の時で、青木はその後もらった達筆の手紙を大切にしている。「こんな礼儀正しい人が芸能界にいるんだと感動した」

 脚本、監督、主演、全部一人でやれば良い。そう本人に伝えていたほど、青木の本木への信頼は厚かった。映画化の話は以前もあったが、進まなかった理由には青木の思い入れがある。

 こうして「原作・青木新門」は消えた。小山の脚本を手に、中沢は監督に滝田洋二郎(たきた・ようじろう)(54)を迎え、主役は青木の望んだ通り本木に託した。

 主人公にチェロを弾かせ、山崎努(やまざき・つとむ)(73)演じる師匠と命の源泉たる白子を食らう印象的な場面を備えた脚本は、本木の入魂の演技を得て映画ならではの世界を開いた。米アカデミー賞外国語映画賞までさらう。

 青木が納棺を通じて見いだした命の輝きを、小山は小山の発想と手法で脚本に刻んだ。その小山が語る。「最初の脚本を青木さんが否定しなかったら、こうはならなかったと思う」

 青木のわだかまりも今はない。映画の成功で青木の本も読者が広がり、多くの共感が寄せられた。「かつて納棺の仕事は蔑視(べっし)されたが、『おくりびと』が見事に解消してくれた」

 脚本とは地図だ、と小山は言う。役者は旅人、率いるのが監督である。

 監督の采配や俳優の演技のように脚光は浴びない。でもそれなしには映画もテレビドラマも始まらない。脚本家たちのシナリオなき旅を追う。

 (このシリーズは加藤裕之が担当します。本文中は敬称略)

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