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2012年8月30日
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原発いらない なあブー

写真拡大氏本長一さん=山口県祝島

 100キロはあろうかという豚が、一斉に鳴き声を上げて駆け寄ってきた。

 硬い毛に覆われた豚たちは、盛んに鼻で地面を掘り起こす。この習性で荒れ地を耕してくれているのだという。

 瀬戸内海に浮かぶ、山口県の祝島(いわいしま)。長く放置され、雑草が覆う耕作地で豚を放牧しているのは、氏本長一(うじもと・ちょういち)(62)だ。

 「ストレスがないから健康に育つ。なあ、ブー」

 肉は東京のレストランにも出荷され、ほかの豚とは違う、と食通をうならせる。

 半日もあれば巡れる島は、外周12キロ、人口は500人弱。人々は日々、魚をとり、畑を耕す。

 ハート形の島には、集落は港近くの一つしかない。細い路地に家が並び、「つくりすぎたよ」と言っては夕げのおかずをやりとりする。昔からそうやって暮らしてきた。

 1982年。海をはさんで4キロ先にある本州側に、上関(かみのせき)原発の建設計画が明らかになった。

 争いを好まぬ島の人も、この時ばかりは気色ばんだ。

 「海と山があれば生きていける。でも、その環境を失うことがあったら、島はどうにもならない」。反対は島民の9割に及び、10億円を超える漁業補償金も拒んだ。

 30年たっても結束は変わらず、建設計画は進んでいない。その島民の思いとともに、氏本の畜産もある。

    ◇

 島で過ごした少年時代、氏本は広い大地に憧れた。北海道の帯広畜産大に進み、卒業後は稚内市役所へ。畜産を担当し、44歳の時、第三セクターの宗谷岬(そうやみさき)肉牛牧場で3千頭を育てる牧場長になった。

 が、戸惑いも覚えた。生産性を第一に何千頭も飼うことが農業といえるのか。もはや「工業」ではないか。

 30代で訪ねたニュージーランドの農家での体験が心に残っていた。目標を聞かれて「高く売れる牛をたくさん育てたい」と返すと、「その金でどうしたい?」。答えに窮した。年代もののトラクターを「お前より年上だが、よく働く」と自慢げに見せる主(あるじ)の顔が輝いて見えた。

 自分なりのやり方を模索しようと、07年に島に戻った。

 放牧する豚の餌は、島民の残飯を利用する。その量からいくと、飼育規模は30頭。通常の3倍ほど、1年半をかけて育てる。

 食を考えることは、生活の足元を見直し、ひいてはエネルギーのあり方を考えることにもつながった。氏本は「人間も動植物と同じ、自然のなかの一つ。身の程をわきまえて暮らすのがいい」と言う。

    ◇

 原発計画に対し、反対運動の先頭に立ったのは、松江の会社をやめて漁協職員として戻った氏本のいとこ、山戸貞夫(やまと・さだお)(62)だった。その山戸の長男、孝(たかし)(35)も大学卒業後に大阪で就職した後、00年に島に戻った。

 勤め口が見つからない中、6月のある日、10年近く放置されていた実家のビワ畑に入った。オレンジ色の実がたわわに実っている。口に入れると、汁があふれ、何とも言えぬ甘みが広がった。太陽の味とでも言うべきか。しっかり育てたら、農業で食べていけるかもしれない。

 島で生きることを意識したとき「原発とは共存できない」という思いは強まった。

 いま、ビワやヒジキなど、島の産品の販売を進める孝は言う。「島できちんと生きていくことが大切です。それは、地域のため、生活のため、と原発を認める以外の選択肢を示すことにもなる」

 昨年1月、山戸や孝、氏本らが中心になって、太陽光や風力などで電力の自給を目指すプロジェクトが始まった。「反対」から一歩進み、原発を必要としない生活を提案したい。小さな島が発信する、大きな試みだ。

 「原発ゼロ」を求める声が広がっている。石を穿(うが)つ雨垂れのように、「3・11」の前から異を唱えてきた人たちを訪ねる。(編集委員・大久保真紀)

(このシリーズは、文を大久保、写真を伊ケ崎忍が担当します。文中の敬称は略します)

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