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懐かしいマッチ3000点、来館者をとりこ

2007年06月28日

 マッチのラベルは時代を映す。明治から昭和にかけて大量につくられた国産マッチのラベルを集めた「幸(しあわせ)になれるマッチワールド」展が東京都台東区西浅草2丁目のテプコ浅草館で7月1日まで開催中だ。庶民文化研究家の三遊亭あほまろさん(60)のコレクションである。すっかり見る機会が減ったマッチのラベルが醸す、ほのぼの世界が来館者をとりこにしている。

写真東郷元帥
萬國一
写真酒を飲む猿
写真芸者
写真インドの神様
写真徴兵保険の勧誘

 展示されているラベルは3000点にのぼる。

 「世界一」「地球一」「萬國一」などのラベルは、明治時代の日清、日露戦争の勝利に沸くころに作られた。乃木将軍や東郷元帥のマッチもそのころのもの。日英同盟成立を祝う図柄もある。

 明治になって登場したガス灯、れんがの建物、鉄道もすぐに取り入れられた。

 大正初めまで、マッチは重要な輸出品。海外向けマッチのラベルも数多く展示されている。インド向けには、ヒンドゥー教の神や象をあしらった図柄を。中国向けには、桃、猿、虎、馬、鹿などのマッチが盛んに作られた。

 定番の芸者や富士山の絵も多い。ビリヤードの絵もある。

 昭和になって登場したのは、日本独自の大箱の徳用マッチ。しかし、第2次大戦に突入すると、「スパイに警戒せよ」や「可愛いお子様には徴兵保険」と書かれたものも現れた。

 このほか、「愛燐(あいりん)家」と呼ばれた収集家が企画したラベルもある。箱には張られずに名刺のように使われたという。

 あほまろさんのコレクションは、中学生の時に、祖父の遺品として3000枚のラベルを譲られたのが始まり。バルセロナののみの市で、横浜に住んだオランダの建築家のコレクションを手に入れたり、IT会社を辞めた50歳のころ、3万枚に及ぶコレクションを買ったり、古書市の交換会などで収集を続け、総数は15万枚にもなるという。

 マッチは使い捨てライターや自動着火具の登場、さらに喫煙人口の減少で生産は減り続けている。日本燐寸(まっち)工業会によると、1912(大正元)年には100万マッチトン(1マッチトンは44本入りの小箱で7200個)以上が生産されたのが最大のピーク。戦後の73年にも第2のピークがあり、約80万マッチトンが作られたが、いまは20分の1以下という。

 あほまろさんは、「マッチを使うのは、フグのひれ酒に火をつける時ぐらい」といいながらも、ラベルの魅力について、「プロの画家が描いたのでないから稚拙だけど、何ともいえない温かみがある」と話す。問い合わせはテプコ浅草館(03・5827・3800)へ。

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