今、伝統の木構造が消えつつある。1人の構造設計者が行った偽装のために、大幅に厳しく改正された建築基準法の為である。今回起きたことは、一軒のレストランが食中毒を起こしたが故に、全てのレストランに生の素材の使用を禁止したことと同じである。以前はあたりまえに、何処でも食べられていた伝統的木構造という刺身が、建築の世界では手に入らなくなってしまった。伝統の木組みの工法は、1000年の時を越えて無数の地震に耐えてきた最も信頼ある工法である。一方鉄骨にしても鉄筋コンクリートにしても、100年を超えた建築は日本全国で数えるほどしかない。それにも関わらず、今我々日本人は、伝統の木構造を作ることを許されていない。理由は木の構造には不確定要素が多く、政府として万が一の場合責任が取れないからである。一応抜け道として特殊工法としての申請は許されているが、許可が下りるまで一年近くかかるのが実情である。住宅の建築申請に一年も待ってくれるような施主はいないから、基本的に昔ながらの実直な仕事をしてきた大工さんは職を失ってしまった。成る程、偽装した建築士は厳しく罰するべきであろう。そして最も大切なことは、被害を受けた人を如何に救済するかということである。ところが今の日本では被害者を置き去りにして、申請機関と役所の責任追及に熱心になってしまった。プロから言わせて頂ければ、食中毒を全て役所の責任にすることも不可能なように、耐震偽装の責任を全て国が負うことは不可能である。国は犯罪者を罰することは出来るが、犯罪の責任をとることは出来ない。国に出来るのは、被害者の救済と犯罪が起こりにくい社会を作る努力である。今回マスコミに追い込まれた国は、行き過ぎた安全基準と引き換えに建築の職人文化を殺してしまった。

一度失われた職人の技は、二度と戻らない。建築は職人の技の集合体である。職人の技が失われた建築の世界には過去も未来も無い。建築現場で創意工夫の部分を担うのは職人である。建築は単なる箱ではない。国の時代を体現する文化の根幹である。建築は車と違い少なくとも30年、長い場合は100年使う。建築には目先の心配や面倒を心配するよりも、長い眼差しが必要である。最初の数年少々面倒でも、その後の長い趣のある建具を選ぶ方が、私は賢明だと思うのである。

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