21世紀になった今、ようやく人は手触りを取り戻しつつある。20世紀は機械に人が合わせる時代であった。チャールズ・チャップリンは映画「モダン・タイムス」で、機械文明に翻弄される未来を描いた。機械の流れ作業に組み込まれた人間は、まるで機械のように扱われ、食事も仕事をしながら口へと機械によって詰め込まれる。20世紀も終わりとなると未来のイメージから機械は消えうせ、むしろコンピュータがそれに取って代わるわけであるが、人と技術との関係は変わっていなかった。1983年のSF映画「トロン」では、コンピュータの回路の中へと取り込まれてしまう人間を描く。取り込まれた主人公は、蛍光色の緑やオレンジ色のラインデーターと化す。人は人らしい輪郭を失い、いかにもコンピュータグラフィックスらしいイメージへと変身するのである。技術そのものこそ未来のイメージの象徴であったのである。


これが21世紀になるとまったく様変わりする。映画「マトリックス」の中ではコンピュータの中の世界は、現実の世界以上にリアルな存在として描かれている。殺伐とした無味乾燥な現実世界の対照として、においや手触りのある都市生活が描かれている。もはや技術は未来の象徴ではない。技術は、より人間らしい生活を支えるために影で働く存在である。究極の未来は人間そのものである。昨今市場を席巻しているアイフォンは世界最高峰の技術の結晶ではない。アイフォン以上にスピードが速く小さい端末はいくらでも存在する。アイフォンが多くの人々に受け入れられた理由は、その技術内容ではなく、アイフォンが他のどの製品よりも人間らしさということに近づくことに成功したからである。私の6歳の娘はまだアルファベットも読めないが、アイフォンのプログラムを開いて画像を指先で拡大縮小やスクロールすることが大好きである。もはや情報技術はどこにでも存在するがゆえに、空気と同じく気がつかない存在となっている。


今、建築技術は十分進化し、あらゆる構造とあらゆる形態が可能となった。それゆえ新しい構造や形態はもはや未来を意味しない。実は未来は手の届かない不思議な世界ではなく、日々の生活の中にある。20世紀に失った人間らしい都市や建築を今我々は最先端の技術を使って取り戻すことができる。今あたりまえと思っている日本の都市は実は20世紀に生まれた機械中心の社会の産物である。 アーツ・アンド・クラフツは、職人の自由を取り戻すことで、豊かな人間性溢れる社会を作り出すことを夢見た運動であった。とはいえ、中世さながらの生産効率で当時の社会を支えることは不可能であったことは、歴史が証明している。当然のことながら文明のねじを過去に巻き戻すことは不可能である。中世が豊かな時代であったという主張も幻想に過ぎない。しかし今人類は長いトンネルを抜け、機械の支配から抜け出し、機械を支配する時代を迎えつつある。21世紀の今であれば、中世の良い所取りをしつつ、最新の技術に支えられた、懐かしい未来を享受することも可能なのではないかとおもうのである。

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