Chapter 2金メダリストのコース

日本人金メダリストを生んだ会場は営業をやめ、別の会場の周りはF1マシンが走る。冬の祭典の末路とは――

日本列島に寒気が吹き込んだ昨年12月、日本スキー界の悲願が成就した舞台を訪ねた。

長野市の飯綱高原スキー場。正確に表現するなら、スキー場跡か。斜面には足首が埋まるほどの雪が積もっていたが、1メートルを越す高さで草が生い茂り、リフトは動いていなかった。

1965年に開業し、80年代のピーク時にはシーズンで23万を超す人がシュプールを描く盛況をみせた。

98年に長野冬季五輪のフリースタイルスキー・女子モーグルの会場となり、里谷多英選手が冬季五輪では日本女子初の金メダルを獲得。しかし、利用者は1万~3万人台と落ち込み、2019~20年シーズンを最後に営業を終えた。スキー人口の減少に加え、気候変動による温暖化が足を引っ張った。

20年の最終営業日は2月16日だった。気象庁のデータによると、営業の最終シーズンとなった20年2月の長野市の平均気温は2・4度。最終営業日の日中は雨が降り、最高気温は14・2度と季節外れの暖かさだった。これではゲレンデの雪を維持するのは難しい。

消えた「里谷多英コース」

リフト券売り場だった建物に各ゲレンデの積雪情報を知らせる看板があった。金メダリストの名前を冠した「里谷多英コース」を含め、すべて空白。スキー場としての時の流れが止まったことを物語っていた。

里谷選手が青空に舞う華麗なエアを決め、大観衆が喝采を送った現場に居合わせただけに、その落差に寂しさを覚えた。

今世紀後半の五輪は

カナダ・ウォータールー大が今年1月に発表した研究によると、このまま地球温暖化が進んだ場合、北京と過去に冬季五輪が開かれた計21都市の中で今世紀後半も「開催可能」な都市は、札幌だけにとどまった。

長野、ソチ(ロシア)、平昌(韓国)など計14都市は「開催困難」との評価が下った。

サラエボは開催当時ユーゴスラビア

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跡地はどうなった

2014年の冬季五輪が行われたロシア南部ソチ。もともと温暖な黒海沿岸の保養地だったが、五輪を機に国家的な開発プロジェクトで最先端の国際リゾートに生まれ変わった。

タス通信によると、スキー場やスタジアムなど350以上の施設が新設され、ホテルの客室は約2万4千室も増えたという。

大会後、施設の多くは国際的な競技大会や国際会議などに利用されている。一部の施設跡にはカジノが開業。ソチ大会でフィギュアスケートの羽生結弦選手が金メダルを獲得したアイスバーグ・スケートパレスなど、五輪の主要会場を囲むように作られたサーキットは、ロシア唯一のF1開催地としても知られている。

ただ、インフラ整備も含め総額500億ドル(当時のレートで約5兆円)を超えたとされる開催費用の負担は重く、現在も多くの負債が残っているという。

2018年の平昌冬季五輪では、会場となった13施設のうち、7施設が新たに建設された。開催地・江原道の資料などによると、アルペンスキーのために新設された旌善スキー場は、自然保護の観点から大会後に原状回復するという方針に基づき、閉鎖が決まっている。

「エッフェル塔でスキーをするようなものだ」。冬季五輪のジレンマを語る専門家は北京の話になると、ひときわ声を大きくした。