<連載> デジタルReライフの勧め

震災で気付かされたSNSの真価 食わず嫌いは損をする!?

たくきよしみつ「デジタルReライフの勧め」(2)

2018.09.26

 文筆家のたくきよしみつさんが主に60代からのデジタルライフを勧める連載。今回は、SNSでつながり、発信してみる価値を語ります。

パソコン通信時代とは様変わり

 私が初めてパソコンを買ったのは1994年ごろでした。当時は、まだインターネットの黎明(れいめい)期。アナログ電話回線に、「ピーガー」と音を立てるモデムで接続していました。

 インターネットに可能性は感じていたものの、「そんな仮想空間で人とやりとりするなんて疲れるだけで面倒くさい」という気持ちが大きかったのを覚えています。

 インターネットの前にパソコン通信時代というのがありました。通信機能のあるワープロ専用機を使って「ニフティ・サーブ」(現在の@Nifty)の電子会議室に参加していたのですが、そこで起きる論争やらけんかは、見ているだけで疲れたものです。

 ですから、インターネットを始めてからも、自分から発信するだけのホームページ型の活動はしても、相互にやりとりする電子掲示板や電子コミュニティのようなものにはあまり関わらないようにしていました。

 その意識が変わるきっかけとなったのが2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所の爆発です。

原発事故で知った発信力

 当時、私と妻は福島県の川内(かわうち)村という山村に住んでいて、原発爆発の映像をテレビで見てすぐに川崎市の仕事場に避難したのですが、その後、テレビからは村の情報が全く入ってきません。ネットで情報を探し回っていたとき、村の商工会長がSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「mixi(ミクシィ)」で悲痛なコメントを発信しているのを見つけました。彼は通信手段が途絶えた村を出て、mixiで村の現状を切れ切れに発信していたのでした。

 私は、mixiのメッセージ機能で商工会長とやりとりし、川内村が孤立していることや、情報が入ってこないまま村長の決断で郡山に集団避難を開始したことなどを知り、メールで新聞各社やテレビ局に伝えました。朝日新聞のWEBRONZAを通じて、いち早く情報 を出すこともできました。

テレビにない情報も瞬時に

たくきさん連載FB災害支援ハブ
右に表示されているのは川内村時代の友人で今は佐渡在住の三十郎農縁さんの書き込み。左側には「災害支援ハブ」へのリンクも見える

 非常時には相互通信型のネットコミュニティーが役に立つことを思い知らされ、その後は「フェイスブック」にも積極的に書き込むようになりました。

 フェイスブックには20179月、「災害支援ハブ」という機能が追加され、フェイスブック上の友人が災害地域にいるか、友人たちは無事かといったことをすぐに確認できるようになりました。

 大きな災害が起きた時などは、フェイスブック上の友達がその地域にいると自動的にトップページに表示され、安否の確認ができます。自分から「無事です」と報告することも、特定の人に「無事ですか?」と確認することもできます。

 たくきさん連載FB災害支援ハブ
フェイスブックの「災害支援ハブ」。被災地にいる、フェイスブックでつながる友人の安否などを確認できる

 テレビなどには取り上げられない情報も、ネット上にはリアルタイムで出てきます。これを書いている今も、西日本豪雨の災害関連情報収集や友人たちの安否確認にSNSが役立っています。こういう場面でも、SNSを使う人と使わない人の情報格差は広がる一方です。

海外とも簡単につながる

 私と妻が川内村で暮らしていたのは2005年から2011年までの7年間ですが、村での交流は移住者同士が中心でした。千代田区の17倍の面積の村に家はわずか1000戸程度。スーパーに買い物に行くにも20km以上の道のりを車で往復1時間かかるような過疎の村です。

 そんな所にわざわざ移住してくる人たちは相当な変わり者でしょう。変わり者同士、考え方や趣味が似ている部分も多く、楽しく交流していましたが、原発爆発後は散り散りバラバラになりました。親しくしていた友人の2家族は佐渡へ、1家族は北海道へ、1家族は岡山へ、そして私と妻は日光へ。

 もしかすると、死ぬまでリアルで会うことはないかもしれません。しかし、フェイスブックのおかげで、互いの生活を知り、気持ちを伝え合うことができています。

 フェイスブックにはビデオチャット機能もあるので、海の向こうにいる人とでも、長時間、通信料の心配もせずにテレビ電話で話すこともできます。初めてこれをやったときは、アメリカの知らない町に住む人とあまりにあっけなく顔を見ながら話ができるので、拍子抜けしたほどです。

 フェイスブックを通じて、海外にも友人ができました。「もしも無人島に音楽CDを3枚持っていっていいといわれたら、その中にはあなたのアルバムが必ず入っている」というメッセージをくれた男性。「あなたの写真にはいつも癒やされている」とコメントしてくる女性。ネット時代に生きているからこそ、異国に生まれ育った彼らと知り合い、気持ちを通じ合わせることもできるわけで、つくづくすごいことだなと思います。

人生を見つめ直せるツール

 川内村時代の友人のひとり三十郎農縁(さんじゅうろうのうえん)さん夫妻は、原発爆発後、私たち夫婦と一緒に移転先を探していました。私たちが日光に落ち着いた少し後、先に佐渡に渡っていたDさん夫妻に誘われる形で佐渡に渡り、自己完結型農業とでも呼べる暮らしを再開しました。

 三十郎農縁さんはテレビもエアコンも持たない生活を長年続けていますが、フェイスブックにはほぼ毎日、淡々とした日記代わりの文章と写真を載せています。それを眺めているだけで、私は川内村にいたときよりも彼の生き方、考え方に深く触れている気がします。

 たくきさん連載ハグロトンボ
フェイスブックに写真を載せたら、すぐに詳しい人から「オオシオカラのオスですね」と、コメントがついた。撮った時は違うトンボだと思い込んでいた=たくきよしみつ撮影

 私は彼の何倍もの量、文章、写真、動画を毎日載せていて、おそらく私の投稿をフォローしている人たちは「こいつはお気楽だなあ」とあきれていると思います。寄せられるコメントには示唆に富んだ考えや知らなかった情報が混じっていて、私自身学ばされることがたくさんあります。

 家の周りで撮った植物、小動物や昆虫、野鳥などの写真を載せると、詳しい人からすぐに「○○ですね」とコメントがつきます。60年以上生きてきても知らない花や虫の名前を教えられ、覚えては忘れるの繰り返しですが、それだけでも毎日の生活が潤います。

まずはのぞいてみて欲しい

 フェイスブックを始めたときは、こんなことに時間を取られるのはどうなのだろうという思いもありました。でも今は、デメリットをはるかに上回るメリットを素直に認めています。

 人間関係が面倒くさいと思うかたは、最初はのぞいてみるだけでもいいのではないでしょうか。友人や知人が公開しているものを気楽に眺めているだけ。趣味や興味あるテーマを扱っているグループの投稿を読んでみるだけでもいいと思います。「こんなものに時間を取られるのはくだらん」と感じたら離れればいいのですから、まずは試してみてはいかがでしょう。

 デジタルを縦横に駆使して、執筆や作曲など多彩な表現活動を展開しているたくきよしみつさんは「デジタルReライフ」を推奨しています。それは、長年親しんだアナログ文化の本質を見失うことなく、デジタル技術を賢く使うことで、ライフスタイルを整えてゆく営みです。インターネットを通じていかに人とつながり、あなたらしい表現を発信していくか。この連載では、そのノウハウをご紹介します。

◇ 

たくき・よしみつ(鐸木 能光)

 1955年、福島生まれ。91年、原子力政策の闇をテーマにした小説「マリアの父親」で第4回小説すばる新人賞受賞。住んでいた福島県川内(かわうち)村で2011年、福島第一原発の原発事故に被災。その体験を元に「裸のフクシマ」(講談社)、「3・11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ」(岩波ジュニア文庫)を執筆。近著に「医者には絶対書けない幸せな死に方」(講談社+α新書)。作曲などの音楽活動、デジタル文化論、狛犬(こまいぬ)の研究などを幅広く手がけている。

公式サイト https://takuki.com/

  • この連載について / デジタルReライフの勧め

    アナログ世代こそが、デジタルを賢く使えるはず。60代の文筆家がデジタルツールを活用した「デジタルReライフ」のノウハウを伝授。長年親しんだアナログ文化の本質を見失わず、インターネットを通じて人とつながり、発信するコツを紹介します。

関連記事

あわせて読みたい

おすすめ記事

PAGE TOP