<連載> 私のReライフ

無理はしないでちょっとだけ努力する 秋野暢子さんの生きるコツ

秋野暢子さんスペシャルインタビュー(下)

2021.03.05

 秋野暢子さんは現在、ボランティア活動に力を入れ、2018年には一般社団法人「0(ぜろ)から100(ひゃく)」を設立しました。健康を考えるイベントや講演会を開いて集まったお金を被災地支援に役立てられています。被災地で体操や美容、料理の教室も開催されています。また、60歳のときに日本尊厳死協会の会員になりました。人生後半をどう生きようとされているのか、お話をうかがいました。

秋野暢子さん

世の中に恩返ししたくてボランティア始めました

―――ボランティア活動は東日本大震災からずっと続けられていますね。

 10年前のあのとき、もう日本中、世界中がなにかできないかと思いましたよね。私たちには何ができるんだろうって。私もそのひとりでした。5月に被災地に入りました。友人と20人ぐらいで行って、炊き出しでお好み焼きやたこ焼きを2500食ぐらい作りました。この1回で終わったらだめだと思い、その後から私1人で行って、いろいろな地域を回る中で、人との出会いがあり、友だちが手伝ってくれるようになり、活動が広がっていきました。

 人間っていろいろな時期がありますよね。若い時は自分のために働きます。あれが欲しい、これが欲しい、あんなものを手に入れたいって。家族ができると家族のために働きます。でも、子どもも独立して私はひとりになった。この年になるまで、この世界にいさせてもらってご飯を食べてこられたし、娘を育てることができた。だから世の中にちょっと恩返しをしておかないと人生の帳尻が合わないと思い始めたのです。なにかできればいいなと思っていたけど、具体的になにをしていいか分からなかった。そんなことを思っているときに震災が起こり、今、動かなくてはと思いました。

秋野暢子さん

最後は大笑いして帰ってもらいたい 

――続けていく中で、なにが力になっていらっしゃいますか。

  被災地には元気を出していただこうと思って行って、元気をもらって帰ってくるのが大体です。人は本当に強いなと思います。家族を亡くされたり、おうちが流されたり、たいへんな目にあっている方が、自分は生かされているから生きるんだって言う。人はすごいなと思います。

 ある方がご家族を亡くされて、それでもうどん底に落ちて、仮設住宅にずっと引きこもっていらしたそうです。お友だちに外へ出ようと誘われても、もう何にもやる気がなくなって本当につまんない人生になっちゃったと。でも、あるとき、秋野暢子が来るから一緒に行こうよと言われて、出ていらした。5、6年前のことです。最初は暗い顔でいらしたんです。私からは何も聞かなかったですけど、だんだん笑顔になってきて、その方から声をかけてきてくださったのです。実はかくかくしかじかで私全然だめだったんだけど、今日来たら気持ちが晴れたの、仮設にいてうずうずしていてもしょうがない、って今日思えたわ、私これから外に出ていくことにする。そういう風におっしゃったんです。ああ、それはよかったな、ちょっとは役に立ったんだなって思いました。

 私と一緒に過ごしていただく時間は、最後は大笑いして皆さん帰っていただきたい。今日は笑ったわ、と言って帰っていただくことをテーマにしています。喜んでいただけたかな、少しは役に立ったんだなと思えることがありがたいです。誰のためにやっているかといったら自分のために続けています。

秋野暢子さん

母から私、私から娘へとつながる思い

 ――日本尊厳死協会に入会されていますね。

  母が60歳のときに尊厳死協会に入りました。そのとき私は20歳で、そういうものなのかなというくらいに思っていましたが、その後、実際に母が延命するかどうかという状況になったときに、私は母から言われていたので、延命治療を望まなかった。母は延命治療を受けずに亡くなりました。それから自分の中でずっと、母の寿命を私が決めてしまったという気持ち、本当にそれでよかったのかとすごく思う時期がありました。

 私自身が60歳になったときに、初めて、ああ、なるほどと思いました。母がなぜ60になったときに尊厳死協会に入ったのかと思ったら、私に迷惑をかけたくないと思ってくれたんだなと思ったのです。私も娘がいて、私がこれで倒れたら、連れ合いもいないし、娘に迷惑をかけてしまうな、と。あ、そうか、母は私のために尊厳死協会に入ったんだと、腑(ふ)に落ちたんです、それで私も入りました。

ハワイの海にまいてと書いています

 ――エンディングノートも用意していらっしゃると。

  経済的なことや延命治療はいらないといったことのほか、葬式はいらない、ハワイの海にまいてくれと書いてあります。ハワイが好きなんです。葬式はいらない。墓もいらない。海はつながっていますから、わざわざハワイまで行かなくても、海を見て、ああ母ちゃん、と思ってもらえばいいです。

 ――これからの人生でしてみたいことはありますか。

  「0から100」の活動を広げていきたいということが一つ。それから女優業としては、もう少し舞台をやっていきたいです。それも焦ってではなく自然の流れの中でやれることをやっていけたらいいなと思います。100歳まで生きられるか分からないので、80歳までだとあと16年。あっという間ですよね。ついこの間子どもを産んだと思ったらもう27年たっています。あっという間に時は過ぎる。一つ一つ大事にしないとと思います。80歳を過ぎてもお元気でご活躍していらっしゃる草笛光子さんのような大先輩はいらっしゃいますが、自分がそうなれるかは分かりません。でも、なれるように努力します、ちょっとだけ。大事なのは無理をしないで続けること。めちゃめちゃ努力しなくてもいい。できることをちょっと頑張っていくことだと思っています。

(聞き手・松崎祐子、撮影・伊藤菜々子)

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ReライフFESTIVAL@homeで配信した秋野暢子さんのプログラムは3月31日まで見逃し配信中。ぜひご覧ください。

  • 秋野暢子
  • 秋野 暢子(あきの・ようこ)

    俳優

    1957年大阪府生まれ。74年デビュー。75年NHK朝のテレビ小説「おはようさん」のヒロインに抜擢される。映画、舞台、バラエティなどに活躍の場を広げ、86年映画「片翼だけの天使」でキネマ旬報主演女優賞受賞。CDやダイエット本を発売したり、イベントやセミナーで講演したり、多方面に活動中。2019年には「ドクター本間の呼吸筋ストレッチ体操 指導士」の資格を取得。近著に「からだの中に風が吹く!  10カウントブレスヨガ」(幻冬舎)。「元祖カープ女子」として、広島東洋カープを応援し続けている。

  • この連載について / 私のReライフ

    第二の人生を自分らしく充実した時間を過ごしている方々をご紹介します。地域ボランティアや趣味の活動、介護や終活、仕事探し、終の住まい選びやリフォーム体験談など、Reライフ読者会議メンバーから届いた活動リポートのほか、第二の人生で新たな挑戦に取り込む著名人にもインタビュー。

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