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「介護」という言葉の重さに、惑わされてはいけない!

ジャズシンガー・綾戸智恵さんインタビュー

2021.03.05

 進む高齢社会。人手不足で細る介護の現場に、昨年来のコロナ禍が追い打ちをかけています。今は、現場の外側にいて、できることは限られますが、介護専門職の皆さんが働き続け、技術や経験を深めながら定着できるようにするには、どうすればよいのでしょうか? そのためには、彼らが本来の専門業務に専念できるよう、資格や特別なスキルがなくてもできる、こまごまとした介護現場の仕事を誰かが代わって担うことが求められています。そうした「介護周辺業務」の担い手として、地域の皆さんの支えが期待されています。
 今回は、認知症のお母さんを看(み)るジャズシンガーの綾戸智恵さん(63)に、どうやって介護の現場を支え合ってゆくべきか、語っていただきました。

これが「老老介護」? 妙に実感

 綾戸さんのお母さんが倒れたのは、プロの歌手となって6年目の2004年。最初は脳梗塞(こうそく)だったそうです。

 「私はおじいちゃん、おばあちゃんがいる家で育たなかった。だから、人間80歳過ぎるとどうなるかも、介護のこともよく分からなかった。分からないからもう手探りで、ただただ一生懸命に、母にどうして欲しいのかを聞いて、できるだけかなえてあげることしか考えていなかったな」

 お母さんは1年半ほどで回復。一度は要介護4から要支援2のレベルまでもどることができました。ところが、歩けるようになった矢先に、今度は人とぶつかって大腿(だいたい)骨を骨折して、病院に逆戻り。それがきっかけで、お母さんからは笑顔が失われてゆき、やがて認知症の症状が現れ始めました。

 「私は元気だけど、体重は40キロない。でも、母は60キロ以上もあった。だから、車椅子で押すだけでもう大変で、息切れしていました。母を背負っていて、気付いたら疲労骨折したことがあって、まいったなぁ。一緒に自分も年とって、力も衰えてきたのを感じていたから『これが世にいう、老老介護か』なんて、妙に実感したりしましたね」

綾戸智恵さんlive
ステージで熱唱する綾戸智恵さん(事務所提供)

ハイヒールにカビがはえた日

 08年に迎えた歌手デビュー10周年。それを記念する全国ツアーでは、お母さんを連れて各地をまわりました。

 「母を放って行けないからね。どこかに預けるとか、そういう発想自体がなかった。その頃は、介護施設に入れるというと、何か施設のシステムに組み入れられてしまって、母が自由に振る舞えなくなるのでは、とか考えてしまった・・・。ライブで私が歌っている間は、楽屋でスタッフが母を見てくれて、ステージとは関係ないことまで一緒にやってくれた。あのツアーができたのは『智恵さん、お母さんをどうぞお連れください』とまで言ってくれた、事務所やスタッフのみなさんのおかげなんです」

 その後、綾戸さんは、お母さんの介護に専念しようと決断。いったんは芸能活動を中断したことがありました。

 「歌いながら介護しながらの日々。家の中が中途半端になると思ったんです。だから仕事に行くのを諦め、24時間母の側にいることにしました。そしたらある時、母が突然、私に『ありがとう』って言うんですよ。4年間、言いたくても言えなかったのだって。そんな一言をかけられないほど私は張り詰めて見えたのかと、思い知りました」
 「仕事を休んでいる間は、私は化粧もせず、同じTシャツを着回して走り回っていた。履かなくなったハイヒールには、気がつくとカビがはえてました。そんな私を見かねたのか、母の勧めもあって、1年半後には仕事を再開することができたのです」

息子の言葉で目が覚めた!

 カムバックは果たしても綾戸さんは、仕事、子育て、そしてお母さんのお世話と、決して手を抜くことはありませんでした。そんな無理がたたってか、綾戸さんはついに倒れてしまいます。10年3月のことでした。

 「救急搬送でしたよ。集中したら周りが見えなくなるのが、私の長所であり欠点(苦笑)。ステージではこれが良い方に働いて、わーっと頑張れる。反対に介護に集中すれば、歌のことさえ忘れている。骨折も気付かないぐらいにね。でも何事も、集中し過ぎてはいけないこともあるのだと思いました」

 「私が疲れきって、ボーっとカラッポになってる時、息子に『おばあちゃんとお母さんとでは終着駅は違う。一緒に行かないでよ。おばあちゃんを置いても行かないでよ。頼むから』って言われて、気持ちが新たになりました。そうしたことがあってケアマネジャーさんに相談。母が泊まれるような施設はないか探し始めたんです。実際に行ってみれば、ありがちなイメージ通りの所もあれば、あっけらかんとアットホームな施設もあった。私の方が入りたいと思うような、ダンスホールつきのゴージャスな所もありましたよ。最終的に、母がここがいいっていう所に行きつくまでは、7、8カ所は訪ねたかな」

 お母さんを看るまで、綾戸さんは介護の仕組みや制度のことは、全く知らなかったといいます。それが今では、介護のプロのみなさんに頼るべきことは、うまくお願いできるようになりました。

 「親を介護しなければならなくなる時は、いつも突然に来る。でも、それは仕方が無いこと。知識とかがなくても、ちょっとずつでもやっていかないとね。家族ですから。しかし、どんなに私が頑張ったとしても本職の皆さんの方が上手なのは確かだから、お願いできることは頼む。うちの母についてくれる人は、私のことばをしっかりと聞いてくれる人でね『私は智恵さんより上手な介護福祉士ではありません。智恵さんの忙しい時、智恵さんの代わりをしているだけですから』なんて言うんですよ。ほんとに偉い! 自分のお母さんでもないのにねぇ。ただ、ただ感謝です」

介護の現場を、自分の目で見る意味とは?

  とは言え綾戸さんは、お母さんのことを介護施設にまかせっきりにしているわけではありません。時間や状況が許す限り、お母さんの元に通い、頼めば一緒に泊まることもできるような施設を選んだのだそうです。

 「私がやっていることを聞いて、世間のみなさんは『綾戸さんは親孝行』とかおっしゃってくださるみたい。だけど、私はたまに、そう思われることを重荷とさえ感じることもあったのですよ」
 「振り返ると私は、とにかく施設のスタッフにはいろいろと質問攻めにしてたかなぁ。私は何でも聞きまくるから。例えば、栄養士さんに会ったとするでしょ。すると『母はどんな風に調理すると食べやすくなりますかねぇ?』なんて。洗濯しているスタッフさんを見れば『どうしたらいやな臭いが取れますか?』とか尋ねて、どんな洗剤を使って、ここんとこにアロマを付けたらいいとか、いろいろ聞きまくっていたんです。母のデイサービス先でも、しょっちゅう私が居るものだから、利用者のおじさんに『ご飯!』って言われたこともあった(笑)。きっと『あんたも職員だろ』って思われたんやね。そんな調子で、プロの人に何でもやり方を教わって、少しずつ盗んで帰るぐらいのつもりでいたからなぁ。なんでかって? それは母の世話のやり方は、現場でプロの皆さんの仕事を見て、体験して、見よう見まねで覚えるしかないと思っているから」

インタビューに答える綾戸智恵さん(事務所提供)
インタビューに答える綾戸智恵さん(写真は過去のもので、事務所提供。取材はZOOMにて行いました)

 自分が健康なうちは、人間は死ぬまで元気であるかのように思いがちです。かつては、綾戸さんもそうでした。でも、介護を通して、いつか人は弱っていくことも、人生必ずしも良いことばかりではないことにも気付いて、初めて自分の老後のことをリアルに考えられるようになるのかもしれません。

 「最近、自分の将来の幕引きについても考えるようになったよ。この白髪についても、最近は楽しめるようになってきた。昔は似合わないと思った服が着られるとか、着物が似合うようになったんじゃないかとかね。そういう意味では、母と一緒に時を重ねられたのは良かったと思う。今は歩けないけれど、かつては私をおぶって走ってくれた母なんだと、車いすを押すたび実感するよね」

持ちつ持たれつのふれあいがつくる、やさしい街

 綾戸さんは「ボランティア」という言葉に、違和感のようなものをお持ちです。決して否定しているわけではありません。けれど、何かが違うと思っているようです。

 「そりゃあ、国が介護のボランティアを呼び掛ければ、人が集まり、良いのかもしれない。でも、今は介護のプロの人たちを育成したり、増やしたりした方がいいのかなぁと思うのです。見ているとなかなか中身の深い仕事やし。学校出たら、すぐに介護福祉士! というわけにはいかないだろうからね」

 「そういえば、前にこんなことがあったな。車いすに母を乗せて、長い上り坂をやっと越えたと思ったら、さっきの店に忘れ物を思い出した。またこの坂の上り下りを繰り返すのかと思ったら途方にくれてね。そしたら、そこに郵便局があった。それで『すぐ戻りますから、ちょっと母みていて』ってお願いして、1人で忘れ物を取りに行ったんです。申し訳ないので、戻ってから切手を買って帰りましたけど。私は何か、ひとりでは出来ないと思った時には、近くの大学生でも誰でも呼び止めて『おにいちゃん、ちょっと手伝って』って頼むよ。『知らん人にですか?』と言われることもあるけれど、私からしたら『えっ、なんで?』という感覚だね。困ったときはお互い様じゃないの。ありがとうと言うと、たいがいの人は笑顔を返してくれますよ。そんな、肩ひじ張らない支え合いが、住みやすい街をつくるんじゃないのかなぁ」

介護職を、あこがれの仕事にするために

 介護の仕事と聞くと、どこかネガティブなイメージを持ってしまう人は少なくありません。どうすれば、そのイメージを変えることができるのでしょうか? 介護の仕事を、みんなのあこがれの職業にすることができるのでしょうか?

 「『介護=恐怖』になっているんじゃないでしょうか? 介護という言葉の重さに、惑わされたらあかんのや。元々は、それは『親をみる』という意味だったはず。それがいつしか『みなければならない』ものと思われるようになってしまったんじゃないかなぁ。親をみる考え方や方法は、その家によって違うと思います。何度も言うけれど、私が歌っていられるのは、助けてくれるたくさんの人たちのおかげ。だから歌うことができる。そう! 他力があるからや」

 「介護スタッフさんたちのそばにいて、彼らをもり立ててゆくには、家族とのカンファレンス、インタビューを重ねることが大切だと思う。自分の親のことを語る家族とのコミュニケーションが、彼らの技術や経験値を上げ、介護スタッフさんたちをもっともっと大きくするんやと思う。私には、介護の専門知識もスペシャリティーもない。でも、介護スタッフさんが育ってゆくのを、助けることならできると思う。とにかく私は、母と付き合って63年ですので、認知症のせいでわかりにくい母の性格や、伝えにくい思いを、介護スタッフさんたちにアドバイスすることができる。家族は、そんなオーダーを出す側だから。オーダーは、出す人の数だけ違う。なので、いろんなオーダーの積み重ねが、介護の現場にいる人の幅を広げることになりますよね。だから、私と同じように介護が必要なお年寄りがいる他のご家族の皆さんにだって、できますよ。そうして、介護スタッフさんたちが自分のことにもっと自信を持てるようになって、自分はみなさんに期待されているんだという自覚を深められれば、彼らの仕事はぐっと輝きを増してゆく。そして、僕も、私もと、その後に続く人も増えてゆくんじゃないか。そうすれば、福祉の現場を担う人たちの厚みも、もっと増してゆくんだと思います。そんな良いサイクルが回り出せば、いつか、介護職のイメージそのものも変わっていくんじゃないでしょうか」

 「介護とは、死んでいく人の世話をすることじゃないと思うんです。相手が、今を生きている人だからこそ、する仕事なんだと。ここだったらうちの親を見てもらえる。ここやったら私らも入れる。そういう気持ちになれるような施設が、もっともっと必要なんです。お年寄りのそばで働く人は、彼らから教われることがたくさんありまっせ。せっかく生きているおじいさん、おばあさんの言葉を、今のうちによーく聞いておかなければもったいない。彼らは、本当にいろんな経験をされてきてたのだから」

本プロジェクトは令和2年度介護のしごと魅力発信等事業(ターゲット別魅力発信事業)として実施しています。(実施主体:朝日新聞社・厚生労働省補助事業)

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  • 綾戸智恵
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    ジャズシンガー

     17才で単身渡米。03年紅白歌合戦出場「テネシー・ワルツ」で話題をさらう。絶妙なトークと個性的なステージで多くのファンを魅了。2017年デビュー20周年と還暦60歳をこえてもとどまることを知らずライブアルバム「DO JAZZ Good Show!(ドゥ・ジャズ・ヨイショ!)」発売。ますますパワフルな活動を続けている。 https://www.chie-ayado.com

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