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<連載> 介護を語る

まずは自分でやってみる そこに人が集まってくる

歌手・俳優 杉良太郎さんインタビュー

2021.03.10

 休日や仕事の合間をぬって、困っている人、手助けが必要な人のサポートをする。ボランティアは、互いに支えあうための大切な柱のひとつです。介護や福祉の現場で、その輪を広げていくには、どうしたらいいのでしょうか。東日本大震災での被災地支援をはじめ、長年、様々なボランティア・社会貢献活動に取り組んできた歌手・俳優の杉良太郎さんに活動に込めた思いを聞きました。

杉良太郎さん
杉良太郎さん

デビュー前から施設を慰問、自然体でやってきた

―― そもそも、なぜボランティア、社会貢献活動に、力を注いできたのですか。オフィスの壁には「芸能57年、福祉62年」と掲げてありました。

 もともとデビューする5年前にやり始めたことなので、特に何かを意識して始めたわけではないんです。レッスンに通っていた盲目の歌の先生に誘われて、福祉施設や刑務所などを慰問し、歌をうたったのがきっかけでした。いってみると喜ばれる。ならば行こうかと。半分は歌うと喜ばれるから、あとの半分は、歌う場所がないから自分たちのためにも行こうと。舞台度胸をつけるのに。だから自分たちのためでもあったし、人のためでもあった。

 まだ、戦後14年しかたっておらず、チャリティーとかボランティアとか福祉とか、そんな言葉があまり聞かれなかった時代のことです。芸能界に入る前から始めていたことだから、いままで自然体でこられたのかなとも思います。

とにかく始める、できる時間に、できる人が集まって

―― 10年前の東日本大震災でも、妻の伍代夏子さんらとともに、被災地で炊き出しをされていました。最初にもっていった支援物資はトラックで20台分、2泊3日の炊き出しはカレーだけで4万食分だったと聞きました。

 数量は覚えていません。とにかく一人でも多くの人に、という気持ちでした。避難所の学校で、炊き出しをしながら、現地で小さいトラックに積み替えて、あまり援助が届いていない少人数の集落を、探して回りました。どこが孤立しているか、マスコミや自治体も、つかみきれていなかったので、ちょっと人がいると止まって灯油や水や食料を届ける。断続的にそういうことも、手分けしてやっていました。

 炊き出しの準備の際は、問題がないのに風評被害で売れなくなった首都圏の野菜をJAから買って、それをトラックで事務所に運んできました。ゴボウなんかは土がついたまま届くので、台所で洗っていたらパイプが詰まってしまう。私も伍代も仕事から帰ってきたら、スーツを着たままカレーを作ったり、豚汁に入れる野菜を切ったりしていました。

―― 事務所のメンバーだけでは、なかなかできない作業です。

 まずは人を集めようとか、人がいないから無理だねではなく、とにかく始めようと。そのうちに、伝え聞いた人たちが「手伝います」と集まってきてくれました。「1週間、ここに朝から晩まで来てください」だと、みんな、こられなかったかもしれません。でも、「仕事が終わってから来ていいですか」とか、「仕事に行く前に手伝いたい」とか、みなさん、それぞれできることをしてくださいました。

炊き出しをする杉良太郎さん
東日本大震災の被災地で炊き出しをする杉良太郎さん(2011年4月)

 私たちが炊き出しに向かうと聞いて、「これを持っていってください」と支援物資を寄せてくれた方もいました。ある若いタレントさんは、歯磨きセット1万個を届けてくれた。みなさん、「自分たちも何かしたいんだけど、どこに行っていいかわからない」「現地に行くのなら、これ、載せていってください」と、協力してくれました。

まず一歩踏み出してみる お金なければ時間の寄付を

―― 炊き出しのとき、メディアから「売名ですか」と聞かれたそうですが。

 久しぶりに言われたなあと思いました。テレビのリポーターに「これもやっぱり売名ですか」と。炊き出しの列にみなさん並んでいて、それに対応している時間もない。だから、「売名に決まってるじゃないですか。あなたも売名でいいからやりなさい」と返したんです。

 ただ、こうしたことをいうのは、自分でなにもしない人たち、一歩、踏み出せない人たちです。自分はなにもしないけど、人がやると売名という。だから私は、売名でもなんでもいいからやりなさいと言うんです。お金のあるひとは、お金を寄付しましょう。お金のない人は、自分の時間を寄付しましょう。お金も時間もないのなら、福祉に対して理解をしましょう。それでもう福祉家ですよ、と。まずはそこからです。

東日本大震災の炊き出し
東日本大震災の避難所で炊き出しのカレーをつくる(写真はいずれも所属事務所提供)

―― 熊本地震のときも、大量の食材を差し入れたり、ベトナムでは30年以上にわたり、日本語学校を創設したり、盲学校などの支援をしたり。活動は多岐にわたっています。いま、日本の社会貢献やボランティアの現状をどうご覧になりますか。 

 日本の社会として、正直、まだ成熟していないのではと思います。たとえば芸能の世界のチャリティーショーでいうと、アメリカでは、誰かがチャリティーコンサートをするとすぐ満杯になる。向こうでは、チャリティーのチケットをとっておけば、税金の控除の対象になるので、ならばチャリティーに参加しようかとなる。ボランティアに行くことはできなかったけれど、このチャリティーの支払いで、誰かが助かる、お手伝いができているんだという意識がもてる。それが、もともとの寄付の文化を広げることにもなっている。

 日本でもチャリティーと銘うったショーやコンサートはありますが、どれだけ寄付にまわっているかはまちまちで、はっきりしないところがある。いまは特定の公益財団に寄付すれば、税金を控除する仕組みができましたが、まだ数が限られていて、チャリティー文化が成熟してきているとはいえないでしょう。福祉というか、チャリティーの心をもっと育てていくにはどうしたらいいか、そのための仕組みはなにか、国会の場で、超党派で積極的に議論していってほしいと思います。

年齢だけで区分けできない 元気なひとが支えに回る

―― すでに日本は65歳以上が人口の約3割を占め、杉さんご自身、今年で77歳、福祉を受ける側の年代ともいえます。シニアが互いに支えあうには、どうしたらいいと思いますか。

 人間というのはもう、年齢だけで判断してはいけない時代に入っていると思います。この人はエネルギーがまだあるねとか、若いなあとか、100歳になっても働いてくれそうな人もいれば、はやくに年老いてしまう人もいる。その差がとても大きい。それを高齢者とか、後期高齢者とか、一律に区分けするのは、どうかな、けしからんなあと思っています。ひとはそれぞれ。できるひとが支えることです。

―― 昨年の夏から、厚生労働省の健康行政の特別参与になりました。どんなことをしたいと考えていますか。

 たとえば80歳、90歳、100歳になってもヒップホップダンスが踊れるぐらい体が動く。そんな体づくりをめざして、全国にシニア層のダンスチームをつくっています。日頃から身体を動かしてもらうことはもちろん、活躍をしてもらう場として出演をしてもらう大会を開けないかと思っています。年に1回、東京で全国大会をやる。そして三代目 J SOUL BROTHERSとか乃木坂とかプロの方と対戦をする。で、日本一は、何々県の平均年齢85歳のチームだったりするとうれしいですね。

 シニアの人たちに少しでも体を動かしてもらう。ジョギングでも何でもいい。仲間と一緒に、速いテンポの音楽を聴きながら踊ってみる。そうこうしているうちに、高齢者でも、神経が反応するようになるだろうと。仲間といることは精神的にも良いのではと思います。年を重ねても、ひとり一人が自分の健康と向き合って、生き生きとした人生を送る。それも立派な社会貢献だと思います。

本プロジェクトは令和2年度介護のしごと魅力発信等事業(ターゲット別魅力発信事業)として実施しています。(実施主体:朝日新聞社・厚生労働省補助事業)

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  • 杉 良太郎
  • 杉 良太郎(すぎ・りょうたろう)

    歌手・俳優

    1944年生まれ。神戸市出身。65年に歌手デビュー。「文五捕物絵図」「遠山の金さん」などのテレビ時代劇や舞台で活躍。デビュー前から刑務所や福祉施設の慰問を始め、その後も国内外で様々な福祉活動や災害救援などに取り組む。2016年度文化功労者。日本・ベトナム両国の特別大使や外務省の日ASEAN特別大使などを歴任。現在は法務省の特別矯正監、警察庁の特別防犯対策監、厚生労働省の健康行政特別参与を務める。

  • この連載について / 介護を語る

    Reライフ世代にとって「介護」は他人事ではありません。親のこと、自分のこと、そして社会のあり方として、これからの介護をどうしていけばいいか。識者の方々に自らの経験やあるべき形を伺いました。

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