「おいしくなくてもいい」 土井善晴さんの料理への思い

編集長インタビュー「土井善晴さんと食を考える」(中)

2021.07.23

 料理の世界に入って40年。おいしい料理をわたしたちに教えてくれる料理研究家の土井善晴さんですが、「料理はおいしくなくてもいい」と言います。さて、なぜでしょうか。

土井善晴さん②

「おいしい」 を強いる空気

――土井さんは、料理はおいしくなくてもいいと言われます。

 意外と思われますが、料理の「おいしい」が優先されるようになったのは、最近のことだと思います。現代の「おいしい」とは“味付け”のことであって、味付けという人工的なおいしさばかりを、おいしいと言っているのです。

 和食は素材を生かす料理です。それが加工食品、外食になれた口には、味付けばかりをおいしいって言うようになったんです。それは、素材がいいからだっていう人がいるけど、自分で料理するとわかるでしょう。ゆでただけ、焼いただけで、おいしく食べられるのです。和食というのはそういうものなんです。

 食べるものが西洋レストランのようにおいしくなくてはならないというのは、プロの考え、あるいは社会の風潮が家庭に入ってきたからでしょう。そんなプロの仕事を母親が求められたら困りますよね。

 私たちが子供の頃なんて、食べる人が勝手に、味を見る前にウスターソースをかけたり、しょうゆをかけたりして食べるなんて当たり前だったでしょう。食べる人が、しょうゆやソース、調味料をかけて、適当に好きにして、食べていたんですね。いつの間にか、味付けの責任を全て、お母さんに任せてしまった。

 家庭料理を作る時間もとれないというのに、いまだに 「おいしい」を強いる空気は強いですね。おいしくなくては料理じゃないくらいに思っているのです。日本料理の本質と、西洋料理の観念の区別もないし、プロの料理人への要求を、家の料理にも求めているんです。だから、その要求にこたえるために、レシピの数字に頼る。

 レシピにある分量を正確に計量することが、おいしい料理を作る方法だと信じているんです。人間はレシピに頼ると、自分の感性を働かせなくなるんです。

――土井さんは「ええかげんでいい」と言いますね。

 冷ややっこには、自分でしょうゆをかけますね。たとえば、小さじ1杯のしょうゆをかけるとします。求めている味は人それぞれ違いますから、分量なんてわからないんですよ。

 たとえば自然の野菜は大きさや固さもそれぞれ違います。火を入れる時間だって変わります。前提条件を一定にはできないことなんです。食材は、味付けやレシピの都合に合わせてくれない。味が足りなければ、自分でしょうゆをかけたり、塩をふったりすればいいわけです。レシピに頼らない。料理は基本をふまえて、食べられるようにすることです。

 食材が持っている持ち味だけで十分においしいんです。そのためには、旬を思うことです。人間の力でおいしくすることなんてできないと考えるのが日本人です。

――旬といえば、私は土井さんが紹介しているミョウガの炊き込みご飯がすごく好きで、よく作ります。

 ミョウガも8月に入れば旬を迎えて、露地物が出回ります。小さなものならそのまま、ご飯にしょうゆか塩で味をつけて炊くだけです。気持ちの良い夏の炊き込みご飯です。料理は素材を楽しむものです。料理屋だと、出汁(だし)をとって味付けする。ミョウガの炊き込みご飯に出汁をつかったら、ミョウガがかわいそうです。余計なことをしてはだめ。私は何が料理の主役、献立の中の主役かと考える。味つけを塩にするか、しょうゆにするか、それは相対的に、おのずから決まることなんですよ。

土井善晴さん④
土井善晴さん(右)と菊池功編集長

手が込んだ料理は大変

――一汁一菜を提案する土井さんですが、以前はレシピ集を出されていました。

 いやこれからも出しますよ。それは意味のあるレシピブックです。何にしても、料理研究家の役割は、家庭料理を通じてみんなに幸せになってもらうこと。それが私の仕事です。これまで、おせち料理などハレの料理や普段のおかずを長く紹介してきました。しかし、専業主婦の時代が終わり、今では、みんな仕事が忙しくて日常的に手の込んだ料理を作ることは難しくなりました。なのに、いまだにレストランのような味付を家でも求める家族がいて、ほんと大変だと思います。

 魚を焼くだけなら、塩をぱらりとするくらいで、味付けは食べる人に任せればいい。食べたこともない他人のオリジナルレシピなんて作ろうとする方がおかしいんです。経験のないものは作れませんし、料理を作るたびに新しいレシピページをめくって作るなんて無理。計量に時間ばかりかかって、面倒になって、だれでも料理が嫌いになります。

――そういえば、私の妻は料理の味見をあまりしません。だいたいこんなでいい、って作ります。

 味がわかっている人には、味は目に見えているんです。料理は手の仕事。自分が気持ちいい、心地いいというのを頼りにすればいいんです。味付けに頼らないで、「素材におまかせ」くらいになれればいいのですが、慣れないうちは、自分の感覚が信じられないものです。何かに頼りたくなりますが、それも経験です。レシピに頼っていると、一生料理ができるようにはならないです。

 数値化するのは、すし酢やうどんだしなど、割合を目安にするものだけでいいんです。その割合だって、2人分と4人分では比率が変わってしまいます。いい加減の方が信頼できます。人間の力で、おいしくするなんてできないと考えるのが日本の文化です。

 そもそも和食の話をしているのか、西洋料理の話をしているのかさえ、わからないで話しているのが、今の日本人です。和食は潜在的な人間の力を発揮できるようにするトレーニングの場なのです。それは経験の積み重ねです。料理でなくても、どんなことでもはじめから上手にできるものなんて、何一つないでしょう。初めから上手に作りたいなんて、「どあつかましい」んです。

 日本人には「ケハレ」という世界観があります。「ケ」とは弔い、「ハレ」とは祝いや祭り事です。そしてその間の日常にもケハレというメリハリのある暮らしがあります。簡単に言えば、ハレはごちそうを食べて、ケは簡単な日常食です。好きな物を食べるのがハレの料理ということなのに、日常でも、すしや焼き肉、レストランで食べるようなハンバーグを家でも食べたいと思っているわけです。ハンバーグなんて手が込んだものを忙しい日に作れないでしょう。そういうものは、たまに食べるもので、毎日子供に食べさせていたら体調を崩しますよ。心配になります。

 でも、家族の要求に応えるために、冷凍食品を使う、総菜屋さんで買ってくるようになる。料理するのがどんどん嫌になってくる。家庭料理が意味を失う悪循環です。そうなると、家はただ寝るところになってしまいます。料理のあるところに家族があるのですから、家族ではなくなるのです。

料理は、だれが作ったかが大事

――夫婦共働きや子どもも学習塾へ行くことが普通になり、家族の食事の時間が合わず、孤食ということもあります。

 一緒に食べることばかりが重要ではないと思います。商売をしている家庭では、親子で食事をすることは難しいわけです。大切なのは、どうやってこの食べ物がここにあるのか、ですね。家族が自分のために料理をしてくれたということが大切です。まあ、とにかく料理をしてください。料理することは愛することです。料理することに意味があるのです。一人暮らしでも料理する。それは自立することです。

(聞き手・菊池功、撮影・伊藤菜々子)

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  • 土井善晴
  • 土井 善晴(どい・よしはる)

    料理研究家/十文字学園女子大学招聘教授、東大先端科学技術研究センター客員研究員

    1957年、大阪生まれ。家庭料理の第一人者として知られた土井勝さんの次男。大学卒業後、スイス、フランスで料理を学んだ後、大阪で日本料理を修業。土井勝料理学校講師を経て、92年に「おいしいもの研究所」を設立。NHK「きょうの料理」やテレビ朝日「おかずのクッキング」などの講師を務め、『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)、『素材のレシピ』(テレビ朝日出版)、『料理と利他』(ミシマ社)、『くらしのための料理学』(NHK出版)など著書多数。

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