春を待つ手紙<上>第1回Reライフ文学賞・Reライフ読者特別賞受賞作品

作・室土猩さん(東京都)

2022.05.30

 朝日新聞Reライフプロジェクトと文芸社が創設した「Reライフ文学賞」の第1回受賞作から、Reライフ読者特別賞の「春を待つ手紙」(東京都・室土猩さん)を、上・中・下の3回にわたってお届けします。今回は〈上〉です。

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「春を待つ手紙」<上>-目次

母の便箋

「文のから君の心をいと多く――」
 窓際の竹林がそよぐたび、笹(ささ)の隙間から八重桜がのぞきます。ほのかな薄紅色が景色を暖めて、遠くの山並みも陽炎(かげろう)にゆれはじめました。この風景を眺めるようになって、もう一年になるのかしら……春の香りが、また私の周りにやってきました。病院の生活は退屈ですが、これだけでちょっぴり幸せな気分です。ご機嫌いかがですか?

 昨日、あなたの手紙と贈り物が届きました。文面はいつものように分かりにくいけれど、こちらは誕生日のプレゼントかしら、愛らしいおはぎには大感激です。近頃、お目にかからないような淡い味なんですもの。もしかして、秋田の実家からいただいたものでしょうか?

 ……可笑(おか)しいですね、最近はもの忘れも時々あって、多少は気にしているのですが、おばあちゃんの味だけは覚えているようです。

 そうそう忘れるといえば、最近、笑い話のようなことが起こりました。手紙を書いている途中で、書いていることを忘れてしまうという事件です。人の名前や日時なら年齢(とし)相応と、たかをくくっておりましたが、ことがことだけに心配で先生に相談したところ、新しい薬に変えたせいかもしれないとのお話でした。もちろんお願いをして、元の薬に戻してもらいましたが、万が一、返事の遅れたことなどありましたら、それは私の怠け癖ではありません。新しい薬の仕業(しわざ)だったんです。どうかこのことは含みおき下さい。

 言い訳がましいことを書いていたら、また心配事が出てきました。それは書き忘れがあったら、どうしようかということです。だって書き忘れが内緒事のように増えてしまうと、どことなく後ろめたくなるでしょう。そうなると言い訳の手紙を出さなければならないし、もしその手紙にも書き忘れがあったら、それがずっと続いたら、一生、手紙に追いかけられそうな気がしてきたんです。心配性なんて言わないで下さい、本当なんですから。

 自分で書いていながら、あなたの手紙のように訳が分からなくなりそうです。とにかく書き忘れのないようにがんばらなくっちゃ……。どうぞ最後までお付き合い下さいね。

 さてはじめに、私は怒っているということをお伝えします。なぜならあなたの隠し事を見破ってしまったんですもの。

 空(そら)からの手紙には、あなたも入院したらしいことが書いてあるのに、ご自分では一行も触れていません。これはどういうことでしょうか? 大体、女というものは、あなたが考えるほど弱くはなく、むしろいざという時はしっかりと腰が据わります。肝心なことを素通りする癖は、昔から変わりませんね。

 同じ病院ならお世話が出来ると思いますが……いいえ、やはり別々で良かったのかもしれません。なぜって、顔を会わせると、例のごとく何も言わないに決まっていますから。

 思い起こせばあなたの無口のせいで、我が家は甚大な被害をこうむりました。大事な決め事をするにしても、話し合うのではなく、日めくりに意見を書いて、交換日記のように相談しなければならなかったんですもの。同じ屋根の下なのに、他人(ひと)が聞いたら驚いてしまいます。ただ、それでも大切なことが伝わっているのかどうか心配になることもありました。

 数え上げるときりがありませんが、極めつきは、結婚前、あなたからいただいた手紙でしょうか。たしかこのような文面でした。

「とても月が綺麗(きれい)です。よろしければ一緒にいかがですか」

 私はありがとうございますと返事を書きました。たとえそう思っていなくても、大人の女というものは、儀礼上、そう書くものなのです。後になって、「I LOVE YOU の日本語訳だ」と、一昨日(おととい)の天気のような説明がありましたが、私はまだ結婚の申し込みだとは気づきません。ましてや結婚を承諾しただなんて言語道断です。

 翻訳家の受け売りなのは言わずもがなですが、今になってみれば、なかなか素敵な手紙だったと思います。お陰さまで四十年の思い出ができましたから……。

 そういえば戦時中の真っ昼間に逢引(あいびき)なんて、私たちはずいぶんとハイカラでした。憲兵に見つかったら、それだけで刑務所送りになるところです。私にとって、まさに清水の舞台から飛び降りるような大冒険でした。

 あの日、私に言ったことを憶(おぼ)えてますか? 「どんな風に生きてゆきたいの? 」と訊(き)いたんですよ。お互いに緊張していたとしても、最初の一言がこんな難しい質問だなんて信じられません。私は頭の中が真っ白になって、「……与謝野晶子のように」と答えてしまいました。まるで告白したような羞(は)ずかしさで、泣きたくなったことを憶えています。

 そんな難しいあなたと、なぜ結婚を決めたのでしょう……。私がお断りを決めて、お宅に伺った折りでした。偶然、あなたのお母さんも上京なさっていて、私と視線が合うやいなや「洗わせて下さいね」と仰(おっしゃ)り、挨拶(あいさつ)する間もなく私の足は洗われておりました。

 どんなに驚いたか想像できますか? その上、御用聞きには三つ指で敬語を使われるし、庭の花に水をあげながら「咲いてくれてありがとう」と仰っているんですもの。

 気がつくと、私はお母さんと呼びかけておりました。幼い頃に亡くした母の面影を、あなたのお母さんに重ねていたのかもしれません。

 ……どうしたのかしら、私の周りに人が集まっています。横からのぞいたり、親しげに私の名前を呼んだり……幼稚というか、まるで詐欺師のようです。若いころなら相手にしないところですが、……ご安心下さい。年輪を重ねた私は、ほどよくあしらいながら返事をしてあげました。私が返事をするだけで嬉(うれ)しそうな顔をするんですよ。本当に変な人たちですね。

 話が横道にそれたので元に戻しましょう。私たちは文字で大切なことを伝えるということでした。

 子供が生まれる時も、私が戦地に手紙を送り、あなたの返信には子供の名前が記されておりました。

「空と海のど真ん中におり。他に一切なし。よって男子なら空(そら)、女子なら海(うみ)と命名すべし。しかし、もし双子なら、空海となり、仰ぎ見る名僧に恐れ多し」

 手紙の文字が滲(にじ)んでいたのは、あなたの涙のせいでしょう。私にはちゃんと分かっていたんですから。

 双子ではありませんでしたが、恐れ多くも長男を空、次に生まれた長女を海と命名いたしまして、現在、二人は子供にも恵まれ、家族は永らえております。すべてはお陰さまということになるのでしょうね。

 手紙が長くなりましたので、入院の先輩として患者の心得を伝授し、結びとさせていただきます。心してお読み下さい。

 ひとつ。入院中は他人のことを考えず、自分のことだけを考えること。
 ふたつ。退院してからの計画を細かく練り続けること。このことを守っていれば、私の経験上、なんとか時間をやり過ごせるはずです。

 ……これで終わりにしようと思っていたら、懐かしい出来事が次々と浮かんできて、私の中で困ったことが起きています。もうひとりの私が、書き足りないと責めているようなのです。でも空にも返事を書かなければいけないし……どうしましょう。

 ただ今、閃(ひらめ)きました。そうです、手紙ですから今日中に書き終わらなくてもよかったんです。こんな簡単なことに気がつかないなんて、一体どうしたのかしら……。

 それではあなたの手紙は、ここでいったん、お休みとさせていただきます。続きは明日のお楽しみです。

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小説「春を待つ手紙」

父の手紙

「――たくはへつると涙こぼれぬ」

 お前のお気に入りは窓際の席で、ひねもす座り、遠くを眺めている。テーブルには空と海の手紙、私の手紙が並べられ、そして脇には便箋と愛用のペンが用意されている。

 今日はその手許(もと)に、海が見つけた手紙を加える。この手紙は私の母がお前に宛てたもので、油紙で包まれていたそうである。きっと大切にしまっていたのだろう。

 驚いたのだろうか、お前は手紙に視線を止め、目を細める。瞳の奥に、かつてのお前があらわれる。それから、いつもの便箋を手に取った。

 そんなお前に話しかけようとしたが、いつものごとく、言葉が出てくれない。だからやむを得ず、私もペンを取ることにした。しばらく留守になりそうなので、挨拶代わりに手紙を残そうと思うのだ。ただ知っての通り、私は書くことも得意なわけではない。話すより、何かを伝えられそうな気がする、それだけだ。私と比べるのは失礼かもしれないが、お前の方がはるかに文章も整い、言葉を楽しんでいたように思う。

 前々から感じていたことだが、お前は物書きになりたかったのではないだろうか。出会った頃、よく文学ついて話していたことを憶えている。特に与謝野晶子について語りはじめると、真顔で下を向き、それでいて晴れ晴れしく見えた。私は彼女の作品を知らなかったが、当時の新聞には自由恋愛や心中事件がにぎわすこともあり、女性の好きな作家など、そのたぐいだと思っていた。それゆえ彼女が話題に上ると、思い込みで反論したものだ。……しかし実のところ、反論ではなかった。お前といることの嬉しさと、私に向けられた視線の眩(まぶ)しさで、口下手にもかかわらず何かを話さずにはいられなかった。そういうことだ。憲兵の目を盗んで歩きながら、自分でもどうにもならない喜びに、突き動かされていたことを覚えている。もしお前に死のうと言われたら、私は迷わず死んでいただろう。徴兵され、見知らぬ国の土になるよりは、この至福のまま死にたいと心のどこかで希(こいねが)っていた。何のことはない、私も世間で流行の心中事件に憧れていたのだ。

 ところがお前は、平穏に生きるという艱難(かんなん)を日和のごとく語るだけだった。新しい命をあずかるお前にとって、軽薄な妄想など取るに足らぬものだったに違いない。お前がいかなる悲しみを抱え、何を支えに生きていたかを知ったのは、あとのことである。だがその時の私はお前の何げなさにいら立ち、さらに反論を続けた。

 とうとうお前は、子供の悪戯(いたずら)を眺めるように首をかしげ、笑みを浮かべた。首筋から金色の産毛がのぞき、秘められた生き物を見たような気がした。お前はその眼差(まなざ)しを戒めるように掌を重ねた。私ははじめて触れる異性の温かさに戸惑い、早まる動悸(どうき)になす術(すべ)がなかった。この瞬間、稚拙な恋愛思想が生命(いのち)の交わりに変貌(へんぼう)したときだと思う。しかしながらお前の言葉に得心がいくまでには、さらに多くの時間を要した。

 そこでなぜ得心がいったのか、これは戦争から生きて帰ったことにも関わってくるのだが、今日は、その経緯(いきさつ)を記しておこうと思う。お前は、何を今さらというかもしれない。けれども私にとって、かけがえのないことなのだ。退屈かもしれないが読み進んでほしい。

 昭和十九年、家族だけの祝言をあげてまもなく、私の許へ召集令状が届いた。出征の日、お前は、生きている限り手紙を書き続けることを約束させ、伏せ字だらけの切り抜きを、さらに数枚に裁断し、封筒に入れて手渡した。検閲を逃れるためだろうが、憶えているだろうか?

 私たちの部隊は満州に渡り、その後、何事もなくシンガポールまで南下した。約束通り手紙は書き続けたが、文字を読もうという気はおきず、切り抜きは背囊(はいのう)にしまい込んだままだった。

 輸送船がシンガポールを出航した直後、部隊は初めて航空機の攻撃を受けた。損害が軽微だったのは、主目標が港湾だったからだろう。港は執拗(しつよう)な爆撃を受けていた。

 小一時間の後、敵機が去ったのを確認して、いったん、船は港に戻ることになった。

 桟橋は大破し、先程まで談笑していた戦友たちが血まみれで転がっていた。乗船中の後続部隊は、ほぼ全滅だった。人間として判別出来る者は良い方で、多くは爆撃により、肉片となって飛び散っていた。不思議なことに、悲しみも怒りも湧かず、私は研究室の実験を眺めるように沈着だった。もし信仰らしきものがあったなら、友の爪や髪を内地の家族に届けようと思ったことだろう。しかし私にそんな持ち合わせはなく、躯(からだ)は生理的に反応するだけだった。

 南方ではわずかの時間で腐乱が始まる。私は臭いに閉口し、形のある死体は土に埋め、肉片は桟橋から海に棄(す)てることを急いだ。重症者の脇には、一発の弾丸を詰めた拳銃を置いた。薬と弾薬を倹約するための上官の命令である。背後で忘れた頃に銃声が響き、淡々と作業は進んだ。

 数時間後、再出航した船倉で私は夢を見ていた。いや夢そのものではなく、たとえば子供の頃、明け方のおぼろげな意識の中で、もっと抱(いだ)かれていたい温(ぬく)もりと、目覚めなければという切迫感の間を逡巡(しゅんじゅん)しているような感覚である。

 その時、切り抜きのことが浮かんだのであろうか、気がつくと、私はぼんやりとそれを眺めていた。文章は随筆のようなもので、伏せ字を解読し、繫(つな)ぎあわせて、かろうじて次の断片のみを解読できた。

『昔の人間は、立派に自刃して申し訳をしよう、立派に他人を殺そう、若しくは立派に他から殺されようというような予想がありました。しかし現代人においては、人の生命は目的として一貫するのであって、たとえ生命みずから向上のためにも、決して手段となるものではありません』

 当時の私は、マルクスや反戦思想なども読む左翼だったが、やはり死というものに意味を見いだしていた。これは時代や国家の洗脳ということができよう。だが文章は人の生命は目的であると言い切り、自殺を含めたあらゆる殺戮(さつりく)を否定していた。

 ふと脳裏に爆撃直後の情景がよぎった。

 私はシャベルに土砂のような肉片を載せていた。間欠的な銃声と押し殺した断末魔が加わった。突然、腐敗臭が船倉に立ち込め、私は激しい嘔吐(おうと)に襲われた。吐く物が無くなった躯は、さらに胃液や胆汁をも絞り出し、それでも止まらぬ苦しさは、私の意識さえ奪った。

 気がつくと、夜だった。星の瞬きと舳先(へさき)の開く波の音だけが闇に吸い込まれていた。

 ……私とは、何と狡猾(こうかつ)なものだろう。あの状況下、たしかに目には残虐な光景が映っていたが、私は地獄絵図を書き割りのごとく通り過ぎ、花でも摘むかのように任務を遂行できた。恐らく己を守るため、目前の現実とそれを受け止める自分との間に、堅牢な意識下の壁を築いたのだろう。当然のことながら、壁の存在に気づくことは永遠にないはずだった。だが、わずか数行の文字は壁を突き崩した。書き割りは無残に破られ、いきなりむごたらしい惨劇は展(ひら)かれた。私がまとっていた思想や信念は、抉(えぐ)るように剝(は)がされ、むきだしの臓腑(ぞうふ)から本来の痛みが吹き出たのだ。あの時、私の魂と躯は、闇の深さと波のゆらぎの甘皮(あまかわ)で、かろうじて繫がっていたのかもしれない。死とは神になることでも、天国へ行くことでもないということを了解した。死とは、明確に生命(いのち)が物質になることだ。それだけだ。私の目から滲んでいたもの、それは感傷ではない。

 いつの時代の人々も、自由や正義、加えて神という踏み抜いた観念に仕立てられ、己の生命を、もしくは他の生命を慶(よろこ)びとともに奪い続けた。そして、それはこれからも永遠に続いてゆくだろう。その愚かさへの、肯定でも否定でもない、ただ諦観(ていかん)するのみの生命そのものという存在。その危うさへの涙だったと思う。

 もうひとつ付け加えねばならない。それは輸送船での数日後、船倉に私宛ての手紙が届けられたことだ。手紙はお前からのもので、もうすぐ子供が生まれることが記されていた。

 今、机の上に、お前からもらった手紙と与謝野晶子の切り抜きを並べる。視界に薄墨の文字と琥珀(こはく)色の活字が立ち上がった。

 至福の宝物を眺めながらいえるのは、このふたつがなければ、たとえ生きて帰れる機会があっても、私は帰らなかったということだ。お前が与えてくれたふたつのものは、死に寄り添う私の魂を、生きる方向へと向かわせてくれた。決して大げさではなく、生命への衝撃的な啓示だったのである。子供の名前は空(そら)と海(うみ)、それ以外は思いつかなかった。文字と文字の間に、生まれてくる子供とお前が浮かび、涙がインクの滲みとなった。滲みは私の証(あかし)であり、私の生命(いのち)である。あえて手紙は書き直さなかった。そしてその手紙が戦時中の最後の消息となった。なぜなら私の乗った船が、ルソンへ渡った最後の輸送船となったからである。

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業務日誌

 奥様は午前中に入浴を済まされ、午後はディールームでお過ごしになりました。食事は三食とも完食です。体調もお変わりなく、時々、笑顔も見られました。

 夕方、ご主人が病院から帰られ、検査の結果、明日からの入院が決まったという報告がございました。詳しい病状についてはお話し下さいませんでしたが、予断をゆるさない状況ですと笑っていらっしゃいました。その後夕食まで、お二人ともディールームで過ごされております。

 ご主人の朝食、昼食は外食。夕食はほとんど召し上がっておりません。明日からの欠食届は提出しました。また本日は奥様の誕生日で、ご主人より奥様とスタッフに、おはぎの差し入れがございました。

 夜間、奥様は良眠でした。ご主人は夜遅くまで机に向かわれておりました。お休みになられたのは午前四時過ぎです。

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母の便箋

「生まれける新しき日にあらずして――」

 窓辺では、うっすらと汗ばむくらいで、春というよりは、もう初夏といった方がいいのかもしれません。ツツジのほのかな香りが、とり澄ましたように過ぎてゆき……それがなぜかしら華やかで、いつもと違う一日になりそうと思っていたら、やはり空(そら)からのお便りが届いておりました。

 あなたの太めの角張った文字を胸にしまい込んでいたら、心がポカポカしてきて、なんだか熱っぽくなってきたようです。さっきまで、騙(だま)し騙しお父さんに手紙を書いていましたが、熱の収まる気配はありません。そこで、いったん、お父さんの方はお休みをさせていただいて、空へのお返事を先に書くことに決めました。本当はね、好きなおやつをお預けされているようで、どうしても落ち着かなかったんです。

 けれども病状を伝えるつもりでペンを取ったら、こんどは書くことがありません。なぜって、一緒に暮らしていた頃と何も変わらないんですもの。

 病気って、つくづく不思議なものだと思います。お医者様が仰るから病気には違いないのでしょうが、実感というものはまるでありません。ですから自分の体をいたわろうにも、いたわりようがないんです。いわば、ずっと五月晴れのような穏やかな感じでしょうか。しいて心配事をあげるなら、やはり、あなたと海(うみ)のことぐらいかしら……子供の頃から二人の仲はよろしくないですからね。

 もの心ついてからのあなたたちは、すでに仇(かたき)同士のようでしたから、なぜいつも喧嘩(けんか)をしているのかなんて考えたこともないでしょう? もちろん私は母親ですから、多少ながらも心当たりはありましたけれど。

 そうね、今日は、これといった用事も頼みごともないし、ちょっぴりあなたたちの昔のことに触れてみようかしら……。

 実は、二人の前で子供時代のことを話さなかったのは、母さんなりに気をつかっていたからなんです。だって、人はいくつになっても些細(ささい)なことで傷つくことがあるでしょう? もしこれを読んで、まだ照れ臭かったり、ムッとしたりすることがありましたら、全ては過ぎたこと、みんな大昔のことですから、水に流して下さいね。

 それではペンを進めます。

 母さんが思うには、二人の仲たがいの原因はまだ海が生まれる前の、あなたと私が秋田で暮らしていた頃にさかのぼります。終戦の前後、お父さんの実家にお世話になっていたことを憶えているでしょう? 海が生まれる前のことなんてと、あなたは笑うかもしれませんが、おおよその目星はついています。

 あの頃は私も毎日畑に出ていたので、日中のあなたの世話は、おもにおばあちゃんにお願いしておりました。あなたは初孫ですもの、おばちゃんだけではなく、それはそれは皆に可愛がられていたんですよ。

 おばあちゃんから伺ったところによると、朝から晩までお寺の境内で鳩(はと)を追いかけて、泣いたり、転んだりの大忙しだったそうです。あなたの鳩好きは、あの頃から始まったのかもしれませんね。

 雨の日は遊び場が本堂に移り、そこでのお気に入りは来迎図だったそうです。絵の前に来ると、あ~あ~と指さして、動かないと仰っていました。

 言うまでもなく、悪さもたくさんしたようですよ。そんな時は方丈さんが地獄絵図の前に座らせたと仰っていました。罪人が釜ゆでにされたり、針の山を登らされたりする例の絵です。するとあなたは夕立のような大泣きをしてから、一週間ほど良い子になると笑っていらっしゃいました。おばあちゃんいわく、あなたは仏様の心を持ってはいるものの、からっきしの意気地なしだったそうです。

 そうそう意気地なしついでに思い出したことがあります。それは正月に獅子舞がやって来た時のことでした。

 獅子って、厄除(よ)けと頭が良くなるように子供の頭を噛(か)むでしょう。あなたときたら、絶叫しながら逃げ回っていましたね。しまいに柱にぶつかり失神したものだから、獅子の方が顔を出して、介抱までしてくれたんです。それを見たら、あなたは魔法を解かれた王子様とでもいうのでしょうか、何事もなかったように起き上がり、おもむろに正座して、馬鹿丁寧に全員に挨拶をはじめました。あなたの泣き顔と、落ち着き払った仕種(しぐさ)があまりに違うものだから、もう皆は茫然(ぼうぜん)と眺めるしかありません。

 私ったら何を書いていたのかしら……、そうでした、海とあなたの不和についてでしたね。それでは話を元に戻します。

 やがて終戦を迎え、東京の焼け残った家での生活がはじまり、まもなく海が生まれることになるのですが、ここからはあなたも知っての通り、二人は喧嘩に明け暮れる毎日でした。

 数え切れないほどの喧嘩の結末は、たいてい海の勝利です。そうですよ、海は小さい頃から強かったんです。ただし絶対あなたの負けない喧嘩もありました。それは海にオッパイをあげようとするとはじまる、あなたの猫パンチ攻撃です。早いのなんのって、その攻撃には、さすがの海もタジタジでした。

 一日のうち、あなたが私から離れるのは、庭に鳩があらわれた時のほんのわずかで、あとは海がおなかを空(す)かして泣こうが、絶対に動いてはくれません。ほとほと困って、オッパイに赤チンを塗ったこともあるんですよ。するとあなたは雑巾を持ってきて、ゴシゴシとやりはじめます。その仕種がおかしくて、私とお父さんは転げ回ったものでした。

 母として確信をもって言わせていただきます。二人の仲が悪いのは、あなたが秋田で甘やかされ過ぎたせいなんです。

 しかし、いつまでも笑ってばかりはいられません。私と父さんは海の授乳のために知恵をしぼりました。その結果、庭に鳩の巣箱を作り、あなたが鳩に気をとられている隙に授乳させようということになったんです。正直なところ、万策尽きたということです。

 ところが回りくどそうに見えた作戦が、大成功でした。あなたは巣づいた鳩に夢中になり、ようやく海は、オッパイを飲むことができるようになったというわけです。

 ありがたいことに家族の危機は救われ、それ以来、梅の木には鳩の一家が鎮座しております。我が家の由緒ある歴史は、かくして出来上がったんですよ。ちょっとした感動ものでしょう。とはいえ、このことから端を発した二人の因縁は、いまだに続いているようですね……。

 梅の木といえば、あなたの小学校の入学の折り、家族そろって写真を撮ったのも梅の木の下でしたね。あなただけが洋服を新調したので、おませな海は、それはそれはご機嫌斜めだったのを憶えています。そのうえ、カメラは買ったばかりで、お父さんは使い方を知りません。撮影をはじめたものの、フィルムを感光させたり、三脚が傾いたり、自動シャッターのタイミングが合わなかったりと、てんやわんやで、やっと一枚撮れた時には、もう陽(ひ)が傾いておりました。

 ……実は、ただ今、重要な問題が発生しつつあります。昔のあれこれを書いていたら、無性にその写真を見たくなってしまいました。

 私は邪念を払うように背筋を伸ばし、深呼吸をしております。それではまいります。

 あなたも知っての通り、私は決して我儘(わがまま)ではありません。また、めったに愚痴をこぼすこともありません。ただひとことだけ言わせていただくと、あなたとは久しくお会いしておりません。これは倫理的に問題があるのではないでしょうか。

 ……心なしか、あなたの文章に似てきたような気もします。

 どうぞ、たまにはお見舞いにいらして下さい。そうでないと、淋(さみ)しさのあまり、あなたの顔を忘れてしまうかもしれません。……などと脅しておいて、いらっしゃるついでに、その写真を持って来てくれたら、嬉しいなぁと思っています。……あら、どちらがついでか分からなくなりましたね。

 冗談はさておき、あなたの手紙を読んでいて気になることがありました。私に心配をかけないように内緒にしているのだと思いますが、文面からすると、お父さんも入院しているようですね。一応世間で、私たちはオシドリ夫婦で通っていますから、知り合いの方がお見舞いにいらした時、何も知らないなんて困ってしまいます。詳しいことはお見舞いの時で構いませんから、必ず教えて下さい。きっとですよ。

 ……そうでした。海のことで大事なお願いがありました。

 母さんは、海があの件から立ち直るまでに、まだまだ時間がかかると思っています。私と父さんが側にいれればいいのですが、この状況では空しかおりません。二人の仲が悪いのは承知していますが、彼女には穏やかに、できるだけ優しく接してあげて下さい。だからといって慰めや同情を口にする必要はありません。ただ静かに見守っていて下さい。女って、それだけでいいんです。このことを、くれぐれもお願いします。

 頼みごとなんてないはずだったのに、書きはじめたら、やはり出てきてしまいました。書き続けると、頼みごとが増えそうですから、心を鬼にしてペンをおこうと思います。どちらにしても近いうちにいらっしゃるはずですから、つもる話はその時の楽しみに残しておきましょう。

 どうぞチビちゃんたち兄弟や、大切な奥様、ご近所の皆様にもよろしくお伝え下さい。それでは次回お目にかかる日を、首を長くしてお待ちしております。

追伸
 今日は嬉しいことが重なる日です。ただ今、海からの手紙が届きました。引き続き、海への返事にとりかかります。

窓辺の母より 

 泣き虫の空へ

<中>へ続く

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