小説を書きたい、作家になりたいならば、なんらかの形で「友情」を描き伝えることは重要な務め。偉人の言葉や文豪の作品をもとに、文芸社の編集者が解説します。

「言葉」に“不用意”は禁物、その意味の“本質”を考えてみる
私たちのふだんのくらしのなかで「友だち」「友人」という単語は、どのようなシーンでもかなりの頻出ワードとなっています。多くの場合、「知人」よりは関係性が数段深い相手を「友だち」と呼ぶものと思われますが、実際のところもう一歩踏み込んだ「真の友人」「親友」となるとどうでしょうか。あなたはどれだけの顔を思い浮かべますか? また、そうしていくつかの「親友」の顔を想像するとき、単なる「友だち」とはちょっと異なるざわめきを心のなかに聴くのではないでしょうか。それだけ人のセンシティブな箇所に触れてくるのが「親友」という存在ですから、自分とのあいだに芽生える「友情」に関しても、ひと言言わずにはおれなかった偉人がやはり古くから名言を残しています。
「多数の友をもつ者は、ひとりの友ももたない」 ーーアリストテレス
「友情には恋愛と同様に勘違いがある」 ーースタンダール
彼らにしてもまた「真の」とつく友人の存在、そのあり方には相当に懐疑的だった様子が見てとれます。もの書きたるもの、どうもこれは挑戦しなくてはならないテーマのようですね。真の友情とはなんなのか? 本を書きたい、作家になりたいと目標を掲げるならば、「友情」の意味の本質について、そのまわりをぐるり一周巡って考えてみる価値がありそうです。
文豪は「友情」をどう見たか、書いたか
志賀直哉とともに白樺派の代表格として挙げられる武者小路実篤は、そのタイトルもストレートな『友情』と冠する小説を書いています。以下、ネタバレとなりますので、未読の方はご注意いただければと思いますが、本作を用いて「友情」を語る上ではそのストーリーのあらましを明かさないわけには前に進めません。
主人公は、脚本家志望のどうも冴(さ)えない風采の青年、野島。彼にはすでに作家として評価を得ている大宮という名の親友がいますが、こちらは才能のみならず容姿も恵まれている様子。あるとき主人公・野島は、理想の女性・杉子に巡りあい熱烈な恋心を抱きます。ところが杉子が愛しはじめたのは、嗚呼(ああ)……友人の作家・大宮くんのほうで、そうして友情も愛情も一身に受けることになった大宮は、野島、杉子、そして自分の三角関係に思い悩んだ末に国外脱出します。その後杉子は異国の大宮に愛を込めた手紙を書きつづり、長い書簡往還を交わしたのちに結局彼のもとへと旅立ちます。となると当然野島は、愛はおろか友までもなくし失意の底に沈む……というお話です。
この作品はそのタイトルどおりに「友情」についての論議を促す格好のテキストです。愛する人に去られると同時に親友もなくした青年・野島は、純粋で潔癖な人間とも見えますが、果たしてどうでしょうか。角度を変えれば、卑屈で恨みがましいといえないことはありません。だって彼がいくら愛を捧げた女性だからといったって、杉子の魂は杉子の自由であるに違いないわけです。それが大宮のもとへと旅立っていったからって、親友だったはずの大宮をいきなり恋敵とみなして背を向けようなんていう態度はいかがなもんですかね。そんなのを真の友情と呼べるんでしょうか。むしろ、親友を傷つけまいとみずから国を去り、杉子との往復書簡をもって理解を得ようとした大宮のほうが、よほど両者に対して適切なプロセスを踏みもうと努めており、つまり野島に対する友情にもあつかったと見えます。
武者小路実篤は「仲よき事は美しき哉」と色紙に書くような人でしたから、小説『友情』には、その尊さや希少さとともに哀(かな)しさをも託したのかもしれません。けれど本作は、少なくとも今日的な感覚で捉えるならば、図らずも友情を貫くには人間的な資質が求められる――ということを示したようにも思われます。
モダンホラーの巨匠が描いた名作
私は自分が12才の時に持った友人に勝る友人を、その後持ったことはない。誰でもそうなのではないだろうか。
(スティーヴン・キング著 山田順子訳『スタンド・バイ・ミー』/新潮社/1987年)
「ホラーの帝王」と呼ばれる現代アメリカの大作家スティーヴン・キングは、「ホラーしか書けない」というレッテルをみずからはがすかのように、何冊かの“ふつうの小説”を上梓(じょうし)しています。そのひとつが『恐怖の四季篇(へん)』で、四季にちなんだ中編を2作ずつ収録し2分冊で刊行しています。名作映画を語れば必ず挙げられる『スタンド・バイ・ミー』は『秋冬篇』に収められていますが、どちらかというと小説よりも映画でおなじみという方のほうが多いのではないでしょうか。
本作の原題は『The Body(死体)』。何やら十八番のホラーめいたタイトルですが、そんな色はほとんどありません。こちらはネタバレというには知られすぎている気もしますが、ざっくりいうと同い年12歳の少年たち4人が行方不明になった死体探しの旅へ出るお話です。4人は性格も境遇も異なりますが、それぞれに深刻な悩みを抱えています。ひとりは死んだ優秀な兄と引き比べられて両親に顧みられず、ひとりは愛する父親に虐待され、ひとりは貧しい生活に志を捨て去り、ひとりはギャング予備軍のごとき兄に気に入られようと必死。彼らはぶつかり合い助け合いながらいくつもの障害を乗り越え、やがて死体となって沈黙する“それ”を発見します。
「死体探し」は4人の少年にとってヒーローとなるための冒険でした。冒険のはじめと目的を遂げた帰り道とでは、彼らの様子はまるで違って見えます。ひとつの目的を果たしたのちのそれぞれの顔には、“成長”と呼ぶべき気配がにじんでいます。しかし、作者キングがこの作品を「秋篇」として位置づけたように、成長を遂げ「大人」になることとは、眩(まぶ)しい夏の季節の終焉(しゅうえん)をも意味します。この旅ののち4人は次第に疎遠になり、それぞれが置かれた境遇に沿った道を歩んでいきます。「友情」とは、相手のことを思ってさえいれば、おのずと育まれていくものとは限らないのだと本作は教えてくれるようです。ほんの刹那(せつな)、同じ時間を共有した者たちの、ただ純粋な心から発生する空気、匂い、世界――。それは二度と戻ってこない時間、もはや手にすることのできない関係なのでしょう。
「友情」を直接語るのは野暮(やぼ)というもの、心の無垢(むく)な姿を描くことに目を向けよう
日常での会話ならまだしも、小説の世界で「友情」「親友」と気やすく口にすればするほど、それは真実から遠のいていくように感じられます。否、遠のくというよりも、白々しく思えてしまうといったほうが適切でしょうか。それだけ誰もが尊く感じ、容易には手に入らないものだと知っているからなのでしょう。そして、これもまた数多(あまた)の偉人たちが口をそろえるとおり、「友情」や「親友」なくして人ひとりの心が満たされることはないのでしょう。
「友情」とは、新鮮な空気のように人の心を瑞々(みずみず)しく生かし、それぞれの人生に豊かさをもたらしてくれるもの。小説を書きたい、作家になりたいならば、メインテーマに据えるにせよ、ストーリーの傍流とするにせよ、なんらかのアプローチの仕方で「友情」の真実を描き伝えることはひとつの重要な務めであるようにも思われます。その際に「友情、友情……」と連呼しても、その真の姿を読者の脳裏に映し出すことはできません。読者の心の奥底に眠る永遠(とわ)に懐かしく温かな原風景――その記憶と共振する物語を紡ぐことが必要なのです。それを、あなたの筆で描き起こそうではありませんか。
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この記事は文芸社HPで掲載している「本を書きたい」人が読むブログから一部抜粋・編集した連載です。
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