<連載> 僕はパーキンソン病 恵村順一郎

2020年度の希望退職に応じることを、僕は決めた

第9回 退社

2023.03.21
恵村順一郎「僕はパーキンソン病」

退社を決めた理由はいくつかあった

 朝日新聞社が募った2020年度の希望退職に応じることを、僕は決めた。

 退社日は2021年4月末に還暦を迎えた後、5月31日付となった。

 病気の僕に「素粒子」筆者の仕事を担わせてくれた根本清樹論説主幹(当時)に面談の時間をとってもらい、感謝とおわびの思いを伝えた。

 自ら退社を決めた理由はいくつかあった。

 パーキンソン病と診断されて、2021年春で4年半。薬物治療で症状が安定しやすい発症後3~5年の「ハネムーン期」(注)が終わりつつあること。

 僕が仕事を続ければ、妻の俊美に過度の負担をかけること。

安倍元首相の退任記者会見

 そして、第1次内閣から僕が政策や政治姿勢を批判してきた安倍晋三内閣が、2020年9月に幕を閉じたことだ。

 退陣の理由は、持病の潰瘍(かいよう)性大腸炎の悪化と説明された。だがそれだけではなかった。

 「1強」の数の力を背景に、国民主権、法治主義、三権分立、議会中心主義といった民主政治の基本原則を無視する。言うことを聞かない官僚のクビをすげ替えることによって官僚機構を従わせ、権力を恣意的に行使する。「森友・加計・桜を見る会」など身内優遇・公私混同の疑惑に説明責任を果たさない。

 そんな安倍流「強権政治」の限界を、白日の下にさらけ出したのは新型コロナ・パンデミックだった。「1強」の強面(こわもて)が通じないコロナ禍には場当たり的な対応をくり返すばかり。国民の生命と財産を守るという政治の使命を果たすことができなかった。

 

 8月31日の「素粒子」に、僕はこう書いた。

 

 《国会議員なら誰もが夢見る首相の椅子。だが、胸に手を当てて自身に問うてほしい。コロナ禍、少子高齢化、経済・財政危機、委縮する同盟国・米国と台頭する中国。難問山積の日本の舵(かじ)を取る準備と器量が自分にあるか、と。

 そして7年8カ月の安倍政治が顧みなかった国民との対話の回路をいかに結び直し、信頼関係を取り戻すか。その任を自らが果しうるかを。》

 

 しかし、後継の菅義偉首相の耳には届かなかったようである。菅氏もまた、2021年9月、約1年で自ら政権を投げ出した。安倍・菅流「強権政治」のもろさが改めて実証されたと僕は感じた。

体が固まり、動きが鈍くなる

 退社の前後、僕はまたしても症状悪化に直面していた。

 マドパーを飲んでも、次の服用まで効果がもたなくなってきた。

 薬が切れた「オフ」の状態でトイレの便座や風呂のイスに座ると立ち上がれない。浴槽に入ると外に出られない。

 就寝中、寝返りが打てない。夜中に尿意を催しても、ベッドから降りられない。

 その都度、俊美に助けを求めたが、このままではいずれ俊美が疲れ切ってしまう。僕はやむなく使い捨て用おむつや尿漏れ用パンツを履いて寝るようになった。

 「あしたの『素粒子』は坪井(ゆづる)さんに代わってもらおうか……」

 僕は何度か俊美に弱気を漏らした。そのたびに俊美は「何言ってるの! あとちょっとで最後じゃないの! 」と声を強めて励ましてくれた。

 

 この時は、主治医の2つの処置のおかげで、1カ月半ほどで危機は去った。

 1つは薬効の切れ目をなくすため、レボドパを①午前6時②9~10時③正午④午後4~5時⑤7時の1日5回に分けて服用するようにしたこと。

 2つ目は、2020年9月から毎食後に服用してきたエンタカポン(血液中のレボドパが酵素によって分解されるのを防ぐCOMT阻害薬)が僕には効果が高いと判断。2021年6月から同じ種類で1日1回服用の新薬オンジェンティスを処方してくれたことだ。

 オンジェンティスは2020年8月に国内販売が始まったばかり。当時は2週間ごとに病院に通い、処方箋を書いてもらう必要があったが、主治医の見立て通り、この新薬は僕に合っていたようだ。多種多量の薬を飲まねばならぬパーキンソン病患者には、1日1回の服用で済むのは大いにありがたい。

 

 オフの時間帯は少しずつ短くなっていった。やがて、普通のパンツで眠れるようになった。

 

恵村さん9

これまで僕は、4度の大きな症状悪化に見舞われてきた

 これまで僕は4度の大きな症状悪化に見舞われてきた。

 ▽報道ステーションのコメンテーターから新聞の仕事に戻るとき▽論説副主幹から「素粒子」筆者に変わるとき▽退社のとき▽2022年12月の母の死去のころ――。

 僕の場合、人生や仕事の節目に立った時が「要注意」だと思える。知らず知らずのうちに心身に無理がたまるのかもしれない。

 これからも、同じような危機に僕は何度も向き合わねばならないだろう。

 そのたびに俊美や主治医、ケアマネジャーをはじめ、多くの人にお世話になるに違いない。今回のオンジェンティスやトレリーフのような薬や、新たな治療法にも。

 

 2021年5月1日の最後の「素粒子」に、僕はこう書いた。

 

 《コロナ下、2年目のGW。帰省や行楽はままならぬが、心に風を、光を。少しでも。》

 37年間の朝日新聞記者生活。うち13年半という長い時間を過ごした論説委員室から発したラストメッセージだった。

 

 定年まであと5年。大好きな朝日新聞で書き続ける。チャンスがある以上、しがみついてでもそうするべきではなかったか、と思う自分はいまでもいる。

 同時に、客観的な評価は横に置き、記者としての37年間に悔いはない。そう思う自分もいる。

 寂しさを感じるのは、病院への行き帰りなど、歩行器を押して街を歩いていて、急ぎ足のサラリーマンらとすれ違うような時である。

 「ああ、俺は病気になってしまったんだなあ」という哀しみが胸の底から湧き上がることがある。

(注)「パーキンソン病の療養の手引き」厚生労働科学研究費補助金 難治性疾患等政策研究事業(難治性疾患政策研究事業)神経変性疾患領域における基盤的調査研究班 http://plaza.umin.ac.jp/~neuro2/parkinson.pdf

 次回は、あるパーキンソン病患者(僕です)の一日を紹介します。

  • 恵村順一郎
  • 恵村 順一郎(えむら・じゅんいちろう)

    ジャーナリスト 元朝日新聞論説副主幹

    1961年、大阪府生まれ。1984年、朝日新聞社入社。政治部次長、テレビ朝日「報道ステーション」コメンテーターなどを経て、2018年から2021年まで夕刊1面コラム「素粒子」を担当。2016年8月、パーキンソン病と診断される。

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